2011年10月08日

LAの太陽は明るい。空はうんと青い。そして高い。


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先日のブログに書いていた超・独り言は、10月2日に急逝したchi-B&masta.Gの最愛の自慢のギタリストkazhへ宛てたものでした。彼は20年以上もの長きにわたってLos Angelesに住んでギターをひいて弾いて弾きまくった男性です。私が初めて彼を見た日は、忘れもしない27歳の年です。ハリウッドにあったHoliday Inn の裏通り。パーム・ツリーが立ち並ぶ、高い青い晴れわたった空の下でした。

もともとmasta.Gの大学時代からの知り合いだった彼は、Gさんのお店で短期間はアルバイトもしていたくらい近しい人だったそうです。私がBAGUSに通い始めた子供だった頃にはもうすでにアメリカへ出発するか、しそうな、そんな時期だったと思うので、お店での交流はまったくありませんでした。時は流れに流れて、時間差攻撃のように出会うことになります。彼の手にはかならずギターがあり、外出とトイレと食事時いがいは片時も離さないのじゃないか?と思わせるような、ジミヘンのようなプレイヤーでした。あ、ジミヘンはトイレの中でもギターを弾いてんやったっけ?すごぃねぇ。会話代わりに弾く感じかな。

kazhを思う時、私はあかるいブルーや、ミント・グリーンのイメージを持ちます。ギターがそんな色だったからか、サングラスのつるがそんな色だったからか。だからね、亡くなってもね、あんまり暗いイメージはわかへんのです。そりゃぁ、もちろん凄く寂しいのだけど、それよりも、もっとロマンティックな、星みたいな、ちょっと寂しい笑顔みたいな、そういう顔で夜空にあの顔をさがす感じです。このところ数年は、間近で見るチャンスがなかなか無かったから、その分、若い時の顔で記憶してるから、きっと喜んでることでしょう!笑

音はこの頭にあります。しなやかな背中の筋肉も、膝の曲げ方も、真剣なまなざしも、グーーーっと集中したら頭のスクリーンに映し出せます。距離を超えて、時空を超えて、masta.Gの教えてくれた『音楽だけが届くことのできる世界』へ、また心とばそうと、そんな気持ちで生きております。

いつも見に来てくれる人がいたら…ありがとう。Keep looking at me, keep listening to chi-B&masta.G's music. LIVEにむけてのリハーサル、続いているので、また逢いましょう!


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posted by chi-B at 01:13| 大阪 ☁| Comment(2) | Memory Lane(思い出の小径) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月01日

思い出いっぱいつまったOSAKA


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ついに暑い夏が始まりました。皆さんお身体だいじょうぶですか。まだ梅雨も明けないけど、真夏並みの陽射しですね。今日はちょっと変わった雰囲気のLIVE動画を選んでアップします。2007年8月にMy Heartというお店でやったLIVEから、私chi-Bが生まれ育った大阪の思い出などを語りながら、見に来て下さっていたお客さんと一緒に歌う部分からの一部抜粋したものです。

今はAmazonやiTunesで発売しているchi-B&masta.Gの『OSAKA』ですが、このLIVE当時はまだ歌は出来ていませんでした。ただ一つ決まっていたことは、Osakaという歌詞(とも云えないかもですが)とそれにつけるメロディーだけでした。まずはどうぞご覧下さいね。





…この後、まだ2回か3回ほど曲が流れ続けて、この日LIVEを見に来て下さっていた方ほとんど全員が歌って下さいました。いろんな大阪、いろんな声、いろんな顔、皆さん一人一人が素晴らしかったんです。それぞれの人生を感じさせられました。上手な歌を聞かせるのがLIVEでもあるだろうけど、こうして音楽で心を通わせ合うのもまた楽しみの一つですよね。私のLIVEでは、時間と状況が許される限り、お客さんにマイクを向けて歌ってもらう時間があります。歌ってくれる人、立ち上がって踊ってくれる人、どうもありがとうございます。I LOVE YOU ALL!!!!!


オマケ!といってはナンですが、もうちょっとファンキーなのもあります。こちらはさらにさかのぼって2005年、Another Dreamで行われた女性ボーカルだけのイベントに出演した際のラスト・ナンバー、chi-B作のバックトラックで『Bのグルーヴ』ちょっと暴れ気味かな〜。笑 これまた一味違った一面をどうぞご覧下さいませ。;-) さて、次回のLIVEはいつ頃か…どうぞお楽しみに。





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2011年01月27日

In the bubble 泡の中だったから


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こんな不況風の吹き荒れる寒々しい今の日本ではなかったあの不思議な泡の中にいた頃、私はこの女性を知って、すぐにレコードを買いに走ったんだったなぁ。その当時の私の夢のひとつは、黒いレースのランジェリーにゴールドのアクセサリーをつけて毛皮のロング・コートを羽織っただけの姿で、真っ赤なコルベットコンバーティブルのトップを開いてアメリカの道路を、髪をなびかせながら風を切って運転してみることだった。今考えるとほんとに可笑しい。でも夢とはそんなもんだから、仕方ないよね。



この人はかっこいい。ちょっとふっくらしてきた今でも、見かけだけでなくて中身がカッコいいからずっとかっこよさがキープされている。子供のころからパーカッショニストだった花も実もある生まれながらのミュージシャンだけど、最初にこの人を "Hey! Look at her! She is a bad ass musician, Y'all!!!!!" と世に知らしめたのはPrince。さすがに目の付けどころが違うし、プロデュース力が違う。よね。w

こんな風に踊って演奏できる演奏者たちが周りに居て欲しいな。きっともっと楽しいステージが実現できるのに。これは今見ている夢のひとつ。さてさて、また泡のなかにいるのやろかね?masta.Gはやれるやろな。あの人は踊って笑って歌ってシャウトしながら演奏ができる稀有なジャパニーズ・ミュージシャン♪だから。私もがんばろっとおおおお!

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2010年10月15日

メモリー・レイン:エアロスミス気分


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大昔に高校卒業してブラック・ミュージックに出会って以来、めったにロックなんて聞かない私も、エアロスミスは他の白人ロック・バンドとはちょっと違う、と思ってる。私の脳味噌のある特定の部分をすっごーく刺激してくれる。どんなヒット曲があるのかさえも、そう詳しくはないけど、エレキでもアンプラグドでも、演奏が始まると見とれてしまう。そして、必ず思い出すのが、高校三年の時に生まれて初めて(そして人生で最初で最後になったけど)、親や先生に嘘をついて学校をさぼったあの日のこと。

来日公演で大阪にやって来てたエアロスミスのコンサートのチケット(一階のA列!最前列!!)を手に入れて、そのLIVEの当日。一緒に行く予定だった父の会社の社長の娘さん(彼女は別の女子高で、私よりも2歳ほど年下だった)が、エアロスミスの泊まってるホテルにLIVEの前に会いに行こうと、私を誘惑してきたから。互いの学校に朝から電話をかけて、母親っぽい声色を使って「今日は熱が高いので休ませます。」なんて。女子高の受付のオバさん・オジさんはすぐにだまされて、私たちは鎖が外れた仔犬みたいに街へ飛び出した。猥雑な天王寺にあったひなびた喫茶店のトイレで、制カバンの中に隠し持っていた派手派手なロック・コンサート用の服に着替えて。お目当ての高級ホテルに入ってみれば、そこには私たちよりもうんと大人のグルーピー達が、ノーブラのスレンダーな身体に張りつくような黒皮のジャンプ・スーツで煙草をくゆらせて待ち構えていた。自分の子供っぽさに泣きたいような気持になった。今思えば20代の若い女の子たちだったんだろうそのグルーピー達が、とても魅力的に私には見えた。話しているうちにそのグルーピー姉さんの一人に私は何故だか気に入られて…。

………時は流れて'90年代のロサンジェルスで、このエアロスミスのドラマティックな曲のvideoが毎日毎晩テレビで流れるのを見たとき、この女の子たちがまるで昔の自分らのように思えたなあ。ビデオの中でアマチュアのポール・ダンシングで賞金$500をゲットしているブルネットのベッピンさんは、エアロスミスのボーカリストSteven Tylerの実のお嬢さんであるLiv Tyler。この曲とvideoはいいわ。遠い記憶のかなたに、確かにあった青春の限りないアホさと正体不明のsexyなウズキが見え隠れするから。CRAZY… まさしく、その通り。



…私たちの幼い逃避行の結末は…。午前中に学校からの連絡が社長さん宅に入り、焦ってLIVE会場やバンドが滞在していたホテルまで探しに来た彼女のお兄さんにすぐに見つかって、肝心のコンサートも見れないまま連れ戻されて、それぞれの家に帰らされた。母からは思いっきりお説教をされて、父に宛てた反省の手紙も書かされた。(思い出した!そんな時にさえ父は叱りはしなかったんだった。ただ一言”無理やり学校に行ってるんやったら、辞めてくれてええねんで。”と言っただけ。)怒られて守られるのは当たり前と思いながら、その時は残念でならなかったな。今考えてみれば、それはとってもお馬鹿で、しかも危険なことだったんだけど、もうすっかり時効だ。音楽が、私にとって甘く危険な香りだったころのお話し。そしてこのコンサートのチケットは、半券をもぎられることなく今も私のアルバムで思い出となって貼られている。

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2010年08月02日

キャンデーこうてきて



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あんまり甘いものを食べないようにと気をつけてても、こんなにも暑い日々が続くと、すんなり降参してスーパーの氷菓子売り場に張りついて選んでしまう時もあります。昨日、安売りの箱入りお徳用アズキ・バーを買って食べていて、またもやMemory Lane(思い出の小径)に脳味噌が瞬間移動したので、このカテゴリーにその事を書こうかなと思って…。

私が小学校低学年だったでしょうか。まだ父方・母方の祖母たちが健在で、夏休みになると、どちらも近くに住んでいた二人の家を行ったり来たりしては、お使いをしてお釣りをお駄賃にもらったり、泊まらせてもらったりしてました。普通の家にはクーラーは無いのが当たり前の時代で、涼をとるには扇風機にウチワ。お昼間にはタライでの行水、軒先には風鈴、たまにうどん屋さんへ連れて入ってもらってのカキ氷…。(そう、カキ氷はうどん屋さんにあるものでした。少したってから喫茶店に”フラッペ”と称する、もっと飾り付けの豪華なモダンなカキ氷が登場しますが、氷のキメのこまやかさが違ったのでした。うどん屋さんの細やかな柔らかいカキ氷の勝ち!)あまりに暑くて外に出るのもしんどいほどの陽射しの日には、元気な子供=当時の私におばあちゃん達が言うのでした。『あんたな、お金やるさかい、キャンデーこうてきて』と。キャンディーではなく、小さいィのつかないキャンデー、これはアイスキャンディーのことです。

買いに行かされるのは近所のパン屋さんや駄菓子屋さんでしたが、当時の私が一番お気に入りだったのは、父や親戚がよくお土産に買って帰ってくれた難波の北極のアイスキャンディー。蓬莱のアイス・キャンディーもあるけど、私は断然、北極のが好きだった。あんまり違いは無いのですが、このかわいらしいペンギンの絵を睨みつけながら食べるのが好きだったんだと思います。

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いろんな味のある中から、いつもミルク、パイン、アズキを選んでは買ってもらってました。練乳とパイナップルが大好きな私が、なぜアズキを選んでいたかと言うと、おばあちゃん達に食べさせようと思ってたからでした。お持ち帰り用のドライ・アイスで煙を出して遊びながら、みなでワイワイと食べたのが懐かしく思い出されます。

ある日、父方のおばあちゃんに例のごとく『キャンデーこうてきて』と言われて、お金をもらい、近所の店までダッシュで行って、自分にはバニラのカップを、そしておばあちゃんにはアズキ・バーを選んで、超特急で走って帰って差し出すと、おばあちゃんが突然怒りだしました。『なんでいつでもいつでもおばあちゃんにはアズキばっかり食べさせるんや!!!』と。その怒り様があまりにも本気で、普段怒られたことなんかないもんだから仰天した記憶が鮮明にあります。アイスを片手に怖い顔をして、『おばあちゃんやからアズキ食べるて、なんで決めつけるんや!おばあちゃんかて、バニラとかパインとかイチゴとか食べてみたいんや!いつも同じもんばっかり渡されて。』と言う悲しげな怒った顔に、私はなんにも言えなくて、心の中では、『おばあちゃんは年寄りやから、年寄りはアズキやのに…。』と、その気持ちを理解できないまま、あまりの勢いに自分のバニラと交換したのでした。

あの時のおばあちゃんの気持、最近やっとわかるようになってんよ。そりゃそうでしょう。歳をとってるから抹茶や小豆ばっかり好きだと決めつけられるのは、ずいぶんと腹立たしかったでしょうね。ゴメンネ。それまで皆の前で我がままを言えなくて、渡されるのを喜んで食べる我慢をしてたんでしょうね。そしてそれが積み重なって、爆発するみたいに私にぶちまけたんでしょう?私一人だったから言いやすかったのかな。可愛いような、愛しいような、あの一瞬が、アズキ・バーのお陰でよみがえってきたようです。夏はまだまだ終わりません。キャンデーが出動するたびに、もっといろんな味を渡してあげたらよかったなぁと、きっと私の胸はキュンキュンし続けることでしょう。溶けてしまうから仏壇には供えられないしねぇ。苦笑いしてるかな?サイダーでも飲む?おばあちゃん。


chi-B&masta.Gの音楽の試聴とダウンロードはMusic Forteでよろしく。
CD『OSAKA』はAmazon等で発売中です。


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2010年06月01日

メモリー・レイン:赤道直下の静かな夜に


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昨日のポストで『ビルマの竪琴』のことを少し書いていて、ふと昔の瞬間を思い出して、またMemory Lane(思い出の小途)に迷い込んだものだからちょっとそのことを。

あれは、私が26歳かそこらの頃だったと思います。当時の私は学習塾の英語科指導部長をやっていました。そして、正直言ってとても疲れてもおりました。熱があろうと一日も仕事は休まずにいた私が、半ば強引についに2週間の休みをとって、シンガポール・エアラインに飛び乗って向かった先はマレーシアでした。イリノイ州に留学していた時に一緒の学生寮で住んでいた友達の皆に会いに行く旅に出たのでした。私が来ていることを伝え聞いて、5人ほどの友達が集まってくれました。

マレー、チャイニーズ、インディアン、アラビックと大きく分けて四種類の人種で成り立つマレーシアの中でも、彼らはイスラム教徒だからお酒は御法度(結婚していない男女が一緒に歩くことさえも)のはずだけど、どこにも抜け道はあるもので、裸足のホームレスの子供が走り回るジョーホール・バルーの夜道を皆で歩いて、私の得意とするビリヤードをやってから女の人たちが経営するクラブのようなお店で歓談していました。そこではライブ・バンドが演奏をしていて、日本の曲(オフ・コースの”さよなら”だっけかなぁ)を歌ってはりました。へぇ…日本の歌謡曲をこうして聞かせてるんやなぁ、と思って眺めていたら、友達の一人が、日本の歌で歌詞を知りたいのがあるので教えて欲しいというのです。何の曲?と聞いてみたら、タイトルは知らないので歌うからと云うや否や…”Ha Ru Koh Roh No 〜”と歌い始めて、後は知らないらしくてハミングでメロディーらしきものを口ずさむ。

流行歌でも歌うのだろうと思っていた私の頭は「エッ?」となりました。日本人ならたいてい誰でも知っている、そう「荒城の月」でした。思いもかけない選択にビックリしながら、なんでそんな歌を知ってるの?と聞いたら、おじいちゃんやおばあちゃんが歌ってた。マレーシアではたくさんの人がこの歌が好きなんだと云うのでした。一緒に居た他の友達も、知ってる知ってる!教えてくれ、歌詞を書いてくれといって手に手に紙ナプキンとペンを用意し出して、私は知っていた一番の歌詞を何枚もの紙ナプキンに書いて渡して行きました。それをとても喜んで受け取るマレー人の面々。歌の意味も教えてというので、だいたいの英訳をして。さあ、一緒に歌って教えてくれとの要望に、ワン・フレーズずつ練習しながら皆で歌っていきました。簡単な歌だからみんなすぐに歌えるようになって行き、小さな合唱団みたいでした。お店の人も演奏はやめて、そっとしてくれていました。もう一度、もう一回、とせがまれて、5回くらいは歌ったかな。

それまで「荒城の月」なんて、暗い寂しい歌にしか思っていなかったけど、改めて意味を訳して何度も歌ってみれば、そうかこれは心静かになれる綺麗な曲だったんだなあ、と逆に教えられた気がしました。おじいちゃん、おばあちゃんの世代は、きっと戦争中に日本軍が歌うので覚えていったのでしょうが、その夜、滝廉太郎さん作曲のメロディーにBAGUS!BAGUS!と感動している友達を見て、歌はこうして人の心の狭間を何百年と旅して行くのだなと思ったものでした。masta.Gのお店の名前でもあるBAGUS(バグース)は、”美しい”とか”最高”という意味をもつ素敵なインドネシア/マレー語だったのでした。そうだ、仕事ばっかりしててBAGUSにしばらく行ってないなぁ、と心に浮かんだことも覚えています。

思いがけずその静かな合唱の夜を体験して、昼間は赤道直下の太陽にやけて真っ黒になった私は、帰国して数週間後、10年以上働いた学習塾を退職しました。その決意が今のミュージシャンとしての自分につながっているわけです。これは、まだカリフォルニアへ行く何年か前のお話です。



chi-B&masta.Gの音楽の試聴とダウンロードはMusic Forteでどうぞ。

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posted by chi-B at 03:44| 大阪 ☁| Comment(4) | Memory Lane(思い出の小径) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月13日

困惑した日々の思い出


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生まれて初めてアメリカ本土へ行ったのは、私がまだ22歳かそこらの子供の頃です。22歳が子供かどうかは、人それぞれ考え方が違うかと思いますが、私自身の22歳は、ほんの高校生か中学生に毛の生えたくらいの頭だったと自分では思います。イリノイ州の南部の片田舎の大学で外国人のための英語コースに入学して、互いに片言でも何とかクラスメートと会話もどきはできるようになった頃のこと、何がきっかけだったのか、休み時間に中近東からの男子留学生が、「君の宗教は何?」と尋ねてきました。普通に「仏教よ。」とでも答えておけば良かったのに、そこは子供頭ですから、真っ正直に「何の宗教でもない。」と答えたところ、バリバリのイスラム教徒な彼は、カッと怒ったような顔になって、「じゃあ、君は悩んだときとかトラブルに出会ったときに、何を信じて、何に助けを求めるんだ!」と言うではありませんか。私は(なんでこんなに怒ったように言われないといけないんや!)と思って、わざと堂々と「自分を信じて、自分で自分を助ける。」と答えたのでした。その時の彼の哀れなものでも見るような、アホな奴でも見るような呆れた顔は、生まれて初めて体験したカルチャー・ショックというやつだったと思います。そうか〜、アメリカにはいろんな人種が来てるんやったなぁ。と思い知った出来事でした。

英語のコースを修了して、いよいよ大学院の言語学科へ、英語教育法専攻の正規の学生として入ったものの、周りの生徒は、先月まで自分が習っていた外国人用の英語コースの講師も居るのを知って、「ええっ!?先生と同じクラスでこれから勉強するの〜。(T△T)」と胸苦しくなるようなプレッシャーも感じていました。まあ、こちらは一年間だけの予定で行っているので、卒業などの堅苦しいことは考えないで済みはしましたが、それでも、毎日の授業では、そうとう気遅れもしたものです。なんだか場違いなところに居るような気持ちを感じつつ、通っていました。

ある日の小テストで、こんな設問が目に飛び込んできました。「God(神)について、自分の思うことを書きなさい。」…これにはホント当惑しました。だって、日本で能天気に大きくなった私は、そんなこと考えたこともなかったのですから。英語の作文さえままならない上に、頭の中にそんな質問への答えなどないですから。今なら年の功で日本の八百万の神のことなどを書いて通り抜けるだろうけども、まったく頭の中が真っ白け。でも、書かないと終われないと思った私の脳裏にある曲が流れて来た。高校生の頃にちょびっとだけ聴いていたJohn Lennonの、その名も『GOD』。もうそれを書くしかない、と思ったので、歌詞をそのまま拝借。God is a concept by which we measure our pain. これは、”神は、人間が自分たちの痛みを測るための概念にすぎない。”という意味の文章です。”僕は宗教は信じない、ヨガもまじないも信じない、エルビスもボブ・ディランもケネディーも、ビートルズも信じない。僕は僕を信じる。僕とYokoを信じる。みんな、もう夢は終わったんだ。”という過激な(と多くの外国人が思ったであろう)歌であることさえ、当時の私には何とな〜くしか理解できてなかったのに、それを書いたことは、今思えば冷や汗ものです。テストが採点されて返って来た時には、そこにひとこと”Very interesting opinion.(興味深い意見だ)”とだけ書かれていたところを見ると、あの先生は、綺麗だけども激しい内容のJohnの作ったこの曲を知らなかったのでしょうね。




私の住んでいた学生寮には、冬でも入れる縦50mの飛び込みもできるほど深い立派な温水プールがあって、そこで毎日・毎晩泳いで遊んでいたのですが、ある日、学校から帰ってみると何やら人だかりが出来てえらくもめている様子。行ってみると、寮に大人数で滞在しているマレーシア空軍からの留学生たちが、スチューデント・アシスタント(通称S.A.寮生の世話をして働きながら安く住んでいる学生達)と、言いあいのまっ最中でした。アシスタントの飼っていたラブラドールがプールに飛び込んで泳いだのでした。御存知かと思いますが、イスラム教徒にとっては犬は豚と同様に不浄の生き物として避けるべきものです。それが自分達の遊ぶプールで泳いだものだから、許せないとカンカンに怒っているのでした。アメリカ人の大半にとっては、犬はMan's Best Friend=人間の一番の友達です。双方の心の距離はかなりのものです。私から見れば、このプールにいっぱい浮かんだ毛を取り除いて、イスラムの人たちを納得させるために水をぜーんぶ抜き去って新しい水を張ってくれたらそれで万事オーケーなのですが、「水を入れ替えるというけど、何トン入ってると思うのか!水道代も大きいんだよ!!」と言われて黙ってしまいました。めんどくさいな〜と思う私を残して、皆さんは寮の白人オーナーに相談に。結局、私の願いどおりに水は抜かれて、喧嘩してた人たちが一緒になってデッキ・ブラシでゴシゴシと大きなプールを掃除して、新しい水が入れられて一件落着。その後の仲直りパーティーで、酔っぱらった皆にプールに服を着たまま放りこまれたのは…私…なんでやねん!(笑)

よその国に行って、こんな場面に出くわす機会も皆さんあったことでしょうね。ここに書いたのはほんの数例です。留学に行く時には、こんなこともあるやろうなぁと予測を立ててお出かけ下さい。その瞬間、何と言っていいのかサッパリわからないことも体験することでしょう。ほんとに面喰いますよ。そんな私は、今は”音楽の神”の存在を信じているのですけどネ。根拠?それは胸の奥底にある言葉にできない思いなのであります。m(_ _)m 支離滅裂な長文を読んで下さってありがとう。


posted by chi-B at 03:38| 大阪 ☀| Comment(4) | Memory Lane(思い出の小径) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月06日

お嬢様みたいにレディーな教授


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大学は女子大でした。”でした”というのは、私が四回生になった時に何故だか学生の不満をよそに共学になったということです。私達自身は高校から同じ女子高なので、いまさら男子が教室にやってくるなどとは汚されるかのように感じたのかもしれません。それが世界的に言う”乙女”っちゅうもんですから!女ばかりの大学に入って来た男子一回生の生徒はたったの4人!(笑)私の爆裂ジョークの餌食になったかというと?どうでしょう。ま、そんなことはどうでもよくて、思い出の中にすむ大好きだった女教授のメモリー・レインです。私と彼女はまるで180度違うタイプなので、まるまる正反対の魅力に、健全な意味で、魅かれあってた気がします。

切れ長の目、髪を切った瞬間のオードリー・ヘップバーンみたいなくるんくるんとはねてるショートカット、賢そうなスーツ姿。そして、何よりも流れるようなブリティッシュ・イングリッシュが高貴な空気を醸し出していた人でした。私はこの人の持つ空気感と聡明な安定したインプレッションが好きで、しかも言葉づかいは、どう育ったらこんな気高い上品さが出るものか?と思ったくらいの綺麗な日本語。たとえば、慣れて来てうるさくしゃべり始めた男子生徒にコツコツとヒールを響かせて、手には英米文学の英語の本を乗せて、近寄ったかと思うとドアをパッと開けて、「出て行って下さい。」いきなりの攻撃に唖然とする男子に、「出て行って欲しいと申しております!」ときっぱりと言わはった。私はそれまでの人生で、「…と申しております!」ときつい口調で真っすぐ言う人は見たことが無かったもんで、わ~なんて綺麗な叱り方だ!といたく感激しました。

4回生の研究の担当はこの人に決まり!近くで学びたいわ。と思って友達の数人を誘う。もちろん悪ガキ仲間。笑 先生は三浦先生といって、英米文学の教授だった。子供さんも居られたと思うが、お家の話をするときは標準語のイントネーションだから、これまた洒落て聴こえるわけです。私(達)は、学校でもファンキーな一味だったので、まったく合わないかと思いきや、違いを楽しんでおられるようでした。下品に限りなく近く見えるであろう私達を、シェイクスピアの英語劇に連れて行っても下さいました。悪ガキはかっこええものには敏感なもんで、思いっきりはまるわけです。全員そろって。笑 私は先生をファースト・ネームでイツエチャンと呼ぶようになって、全員でお揃いのトレーナーも作ってきたりしました。金沢へゼミ旅行に行った時にも皆で着て。デザインはやっぱり私。黒地に白の各自のローマ字名前入り。背中にね。で、胸には、私の考えた英文をロゴとともに。先生は喜んで着てくれてました。Won't you please surrender to me? 'Cause nothing is better than LOVE.と書いたと思うけど、「(ちょっとふざけた表情で鼻をツンと上向けて…)流石私の生徒だわ。”私に降参して下さる?”なんて、とってもウィットに富んでるのね。」とほめて下さったのが嬉しかった。

ある日、先生の部屋に一人でレコードを持って入った。レコードはいつも持ち歩いてたのだけど、それが当時の自分のファッション小道具となってたかもしれないな。その日、持っていたのは忘れもしない大好きなボーカリスト。カーリー・サイモンのLP「Playing Possum」だったことも書いておこうっと。そのタイトルの意味をきいたら、「タヌキ寝入りするという意味です。」と教えて下さった。そして、中の歌詞やいろいろをご覧になって、おもむろに、「これ、良かったら貸して下さらないかしら?」と、また超上品なお言葉。私はよろこんで貸して差し上げたのでした。ぜったいのぜったいに全曲気に入って下さる事がわかっててん。このLPは、このセクシーなジャケットからも期待できるように、匂い立つような独特のオーラを放つから。

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どこへいったのやら、今もあるのやら、棚の中は見えておりません。曲はいまも耳の中に残っています。この時代、私の多感な女学生時代に、さらさらしたシルクのような女先生に逢えたことを、幸せに思うのみです。お元気にされてるかな。流れるような流暢な英語の美しいあの先生は。私が歌を歌うようになったこと、知ったらよろこんでくださるとおもうけどなぁ。あら、あきれたわ。なんてまた上品な笑顔でネ。三浦先生、大好きでしたよ。シェリーの”西風によせる詩”や、エミリー・ディキンスンの”私はヒースの茂る荒野を見たことがない…”の詩なんかは、いまも記憶のかなたに残っています。ハイソな空気を運んで下さったから、なんだか心底おシンな気持ちになれます。決して持つことのないであろうスタイルへの不可思議なあこがれですね。smile。






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2009年10月30日

Tennoji Zoo


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文字どおりのMemory Lane…行ってきました、天王寺ZOO。バスに乗ってやって来ている大阪市内の各幼稚園児達、何百人?の遠足にまぎれ、家族連れに紛れ、3時間ほどかけて、動物園も植物園も公園も美術館の地下展示場もじっくり見てきました。リニューアルされたのがいつかは知らないですが、見物客のために木をたくさん植えて、小山をいくつも築いて、歩き回れるように動線を縦横無尽に造ったようで、おかげさんで足腰はガクガク。動物たちを見てると、どうしても気の毒にも思えます。狭いケージの中に入れられてるのはねぇ。ここに暮らして日本の都会の子供たちにその綺麗な不思議な姿を見せてくれて思い出をくれてありがとうと思いながら、同時に心痛くてゴメンナサイと思う感じとでも言うのかな。う〜ん、やっぱり痛い方が多いかな。。。複雑であります。

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今日は暑かったからか、ライオンは寝ころんでちゃんと見れませんでしたが、ずっと前に行った時には雄ライオンの吠える声に遭遇し、その迫力にビックリしました。あれは、機械を使ったり、声色を真似ようとしても決して人間のつくれる音じゃないわ。地の底から轟くような、文字には出来ない、録音しても再生しきれないと思われるぶっとい音です。周りの空気の振動といったらすごいものでした。鳥肌が立つような…というのはああ言うのでしょうね。あれは値打あったなぁ、と今も思います。

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キリンも昔は首を伸ばして寄ってきて、大人が手を伸ばせば舌なんかに触れそうなくらいの距離に居たと思うのですが、もう今は遠くになってしまって、子供らが汚れた四角いガラス窓ごしにしゃがんで見ているのが、ちょっとかわいそうでした。あんまり遠くから見てると大きさがわかりにくいだろうにねぇ。残念ね、>今のちっさい子たち。あれは小学一年生だったか、キリンを写生して賞を頂き、天王寺動物園に貼りだされたことを今思い出しました。二頭のキリンが背中を向けて立っている絵で、「倦怠期のキリンですな。」と大人達が笑った意味がわからなかった子供時代です。

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ずいぶんユックリ動物たちを見た後は、静かな公園内へ。こっちがホッとするのは大人になったしるしなんでしょうねぇ?日本庭園を眺めるように造られている木々に囲まれた小道を散策していると、どこからともなく草笛の音色。「七つの子」を吹いているおじいさんが居るのでした。童謡は素晴らしいなぁと改めて思いました。じーんと心に響きます。草笛の音色は何とも言えず優しく聞こえました。ここらで振り返ると通天閣がそびえたって、大きな時計が時刻を知らせてくれています。写真を撮ったのに削除してしまったゎ。公園が広くなっていて、人はあまりおらず池をながめて佇むなどして、植物園を見て、外へ出ました。

出口付近では、見知らぬ80代くらいと思われる背広姿のおじいさんが急に話しかけてきて、通天閣の歴史や豆知識から始まり、吉本興業創立の裏話やら逸話から、立て続けに約6〜7分、ノンストップで語り続け、「ま、そんなもんです。じゃ、ガンバレ!」と親指を立てて見せ、颯爽と去って行かれました。ああいう感じがOSAKAやねぇ。(爆)話がぶわ〜っとマシンガンのように続くけど、合いの手を入れるように、こちらもポコン・ポコンと豆鉄砲のように質問に答えると、「お?知ってる??」と驚かれて、たぶん私が旅行者だと思われたんでしょう。リュックサックは背負ってても、私はバリバリの大阪育ちなんやけどね。それにしても、このおじいさんの豆知識は細かかった!本で読んだのか何なのか。わけは明かさず笑顔で消えていった人。

時間を気にせず、誰に気兼ねすることもない。そんな10月の終わりの一日でした。寒くなる前に行けて良かった。こうして気持ちをリセットできて。。。さてと、12月11日のホストLIVEに向けて忙しくなるぞ〜。来月に入ると気温がぐっと下がるそうですので、どうぞ身体に気をつけて。今日も近所の医院は閉まる時間を過ぎても満員でした。十分な睡眠と栄養をとっていきましょう!!

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2009年10月08日

昭和の台風を思う


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秋の台風は上陸することが多いですねぇ。今こうしていても、外はえらい勢いで風が吹いています。物干し台のトタン屋根がはがれそうで心配しつつも、かといってどうしようもないので見ない!(笑)小さいころに自分の住んでいた大阪市内が暴風雨圏内になったときのことを、ふと思い出します。その頃、台風が来ると聞けば、どこの家の人たちも何時間も前から大わらわで、女性陣は早い目に市場へ買い出しに出かけて、おにぎりを結び、お茶も用意し、窓や戸にはお父さんを代表とする男性陣が板を打ち付け、ろうそくとラジオを用意して、家族が一つの部屋にかたまってテレビやラジオにくぎ付けになったものでしたね。(ね、古いことを体験済みのみなさん。)

だんだん近づいてくる風の音を聞きながら、父母や祖父母の台風の体験談を聞いていた。「川が水一杯になってな、家が流されて行くんやで。屋根に上って見てたんや。牛が”も〜ぉ”て鳴きながら流れていくのは可哀想やったでぇ。」。「ガラスがみんな風でバリンバリン!て順番に割れてな。部屋の畳を家族で持ち上げて、それで雨風が入ってくるのを抑えたんやで。畳が風でビューっと反り返ってなぁ。重たいし、生きた心地はせんかったよ。」と延々と。小学生の子供の耳には、それはまるで夏の夜の怪談話を聞いてるようなこわ〜い雰囲気さえ孕んできて、それでもナイショ話のような、物語を聞いているような楽しい気持ちもどこかにある。その次の瞬間…停電!…急に真っ暗になった目の前に、太いろうそくの明かりがともされて、それを真ん中に立てて、風が去るのを耐えて待つ。家がゆらり、と揺れて、風がどこからか吹き抜けて。あれは、何とも言えない時間でした。今はそんな緊張感がなくなってきてしまいました。寂しいことでもありますネ。

一番大きい台風が過ぎ去った小学生のある朝、真向かいのお宅の玄関にある、何百年も立っていた大木が根元からボッキリと折れて倒れてる。それは栗の木だったとわかったのは、青いイガの栗がゴロゴロと落ちていたから。「危ない」と言われても嵐の去った後の町を見たくて、もう一人好奇心満々の父親が外に連れ出して見せてくれたのが、その景色でした。ヘルメットをかぶれと言われたけども持っていなかったので、おもちゃで使っていた子供用のブリキの真っ赤なバケツをかぶっていた自分を記憶しています。なつかしいなぁ。小さかったんやな、と思い出させる風の音。何も大きい事故がないといいですね。どうぞ皆さん気をつけて。真っ赤なバケツに、痛い針で守られた栗を何個もつまんで入れながら、蝉取りには抜群の、いつか昇りたかった大きな木が倒れたことを残念に、秋晴れの台風一過の空を見上げた瞬間がフラッシュ・バックした今夜でした。


10月11日(日)LIVEをやります。フライヤーはコチラです。⇒





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2009年09月13日

Ms.ティナ・ターナー


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つい先日、何年も前から気にはなりつつも見なかった映画「What's Love Got To Do With It?」を見る機会がついに訪れた。American RockのDivaとその名も高きティナ・ターナーの自伝的な映画。見なかったのには幾つかのわけがあるような、ないような…。とにかくついに見た。そしてやっぱりこのメモリー・レインにたどり着くのであった。

2002年にハリウッドの音楽学校に留学していた私は、その日いつもの通りパフォーマンスのクラスを受けていて、何十人かの学生さん達の前でオリジナルの曲をひとりでMDから流れる自作のカラオケに合わせて披露していた。なんの曲をやっていたのかうろ覚えだけど、たぶんブルージーな悲しい怒りの曲「Y?」だったような気がする。歌が終わって、拍手があって、そしてインストラクターのmamaO(ママ・オゥ)が言う。

「ワンダフル!すごく良かったわ。」

(ホッとする。だけど自分の問題は自分で判っていたから有頂天にはなれないままで。)

mamaOはクラスに向かってこう続けた。「QueenB(これは当時の私の名前)の声はすごく魅力があって、とても個性的です。一度聴いたら忘れられないあのスモーキー・ヴォイスは他の誰でもない。聞いたとたんに誰が歌ってるかすぐに分かる。”あ、QueenBが歌ってる!”って思わせることができる。それはシンガーにとって大事なことだから、よく覚えておくように。」クラスの皆が私に向かって笑顔を送ってくる、ここまではありがたいと思えた。正直なところ、確かにうれしかった。でもその後の言葉に私の顔は少し曇ったかもしれなかった。

「彼女のパフォーマンスを見るたびに、私は私の一番好きな素晴らしい歌手を思い出すの。それは、ティナ・ターナーです。エネルギーにあふれた姿勢とハスキーな歌声。QueenBはあの人を思い出させます。Though she's got no fancy licks. Not much range. それでも一声聴けば、私たちの知ってるQueenBだ!と分かるのが素晴らしい。」

クラスメート達はみな私の方を振り向いて熱く拍手をくれたけど、私は心の中で舌打ちしたかもしれなかった。マズイな…と思った。もちろんティナは(日本での評価はよく知らないけど)アメリカでは尊敬とともに生涯愛される女性シンガーの代表格の一人。大スターであって、極上の脚線美と、長い輝かしい経歴を持つシンガー中のシンガーだと知ってはいても、彼女の音楽は私の好みとはかけ離れていたし、テレビで見ていても好きとまでは言えない人だった。それよりも、mamaOの言葉の中の、”洒落たコブシを回すわけでもなく、声域も広くない”、ここに大いに引っかかった自分がいた。そここそが頭に叩き込むべき事実だ、と重く受け止めて。

暮らしていたホテルに戻ってmasta.Gさんにすべての出来事を話す。(これは日課のようなもので)すると叱られた。「それは素直に喜ばなアカンわ。そんなこと黒人の人には普通は言うてもらわれへんくらい光栄なことなんやで。嫌やと思う君の考え方には問題あるで。なまいきや。頭の中身が最低や。そら自分の下手糞なところは直さなあかんし、ティナ・ターナーは僕も好みやないよ。でも、まず無邪気に喜ばれへんその生意気さが気に入らんわ。腹立つ。」と。その日はダブル・ショックでそうとうに凹んだものだった。

忘れるほどの月日がたって、こうして映画を見てみれば、ティナ・ターナーはやっぱり凄いミュージシャンだった。映画のそこここにほんの少し特定の宗教色があることと、映画は作り物なんだと割り引いて見ても、この人生は濃い。それを乗り越えながらRockのDivaとして花開いたパワーもすさまじい。素直に見れば感嘆をもって仰ぎ見るべき大シンガー。こんな当たり前のことを、勘違いして曇った心が見えなくしていたから、どれほど光栄なことかも気付けなかった。でも今こうしてわかっただけでも良しとするしかない。これからもティナ・ターナーとchi-Bの音楽は違う色を辿るだろうけど、内に秘めたspiritはこうありたい。見習うべきところも多く、共通するところも確かにある。そして、mamaOもシンガー。セルジオ・メンデスとともに来日経験もある人。私と同い年の。

三人の女たちの音楽、そこに格段なレベルの違いはあるけど、人間が声を出してマイクを使って人に歌いかける行為をしていることに違いはなくて、それを思うとそこにSisterhoodを感じる。そんな生意気心なら持ってもいいんじゃないかな、なんて思う。とにかく進むだけ。何があっても、何もなくても。私たちはみな、Proud Maryなんだろう。

Big wheel keep on turning. Proud mary keep on burning.
And were rolling, rolling. Rolling on the river.


上のyoutubeで見れるLIVEは去年(2008年)のステージ。ティナは今年で70歳になります。こんな70歳、ほかに知らない。綺麗!
MAN! Check out those legs! She's hot, way too HOT! Damn!!!!



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2009年08月01日

あの遠い夏の日-Memory Lane-


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あれは、小学校の低学年だったのだろうか。当時、うちも近所の皆さんと同様に、今で言うところの冷蔵庫はなかった。頑丈な分厚いひとつ扉の茶色い箱があって、そこに氷の塊を一貫目だったか二貫目だったかの単位で買って、家ののこぎりで四角く切って入れるのだった。当然、箱は満杯に近い状態なので食料はほんの少し、それとサイダーやビールが数本だけ冷やされていた。その頃は、氷屋さんが自転車でまわっていて、道で大きな氷の塊をシャーッ、シャーッ、と、これまたのこぎりの様な刀で切り売りしてくれていた。その様子は、映画「火垂るの墓」に出てくる通りで、子供達は地面につもった氷の削りかすの上のほうの汚れていない部分を、ちょうど映画の場面と同じように、拾って口に入れたりしたものだった。家に持って走って、砂糖をかけたこともある。

急に氷が必要になったときには、徒歩で十分ほどのお米屋さんで買うのが常だった。その氷の塊は重く、早く家に戻らないと融け出す。冷蔵庫に入りきらない分は、母があら塩をかけ、新聞紙にくるんでいたけど、あれはどれほどの時間もってたのか。ほんとにご苦労さんな話であるけども、今思い起こせば、バケツを持って買いに行っていたのは私で、それが決まって私の夏のお使いだった。家族が熱を出したといっては夜の暗闇の中を急いで買いに走ったりもした。店が閉まっていたら、シャッターをバンバンと叩いて出てきてくれるまで粘るのも勇気がいった。帰りはバケツを地面にすべらせながら帰ったのか、持ち上げて運べたのか、もう記憶はオボロゲ過ぎて見えない。

スイカを買ってきてもらった日には、バケツかタライに水と氷を張って、そこに長時間漬けて冷やしていた。台所に入っていっては、冷たくなった水とスイカをくるくると飽きず触って。そうしていることが、夏休みの遊びだったように思う。お風呂も毎日行くほどには近所も含め皆お金がなくて、このタライに入って行水をしたのも懐かしい。夏休み中の昼下がり、オヤツはスイカか冷やしたトマト。外に持っていって食べる。種をプップップと砂や土の上に飛ばしながら。トマトは汁をずるずる吸いながら、食塩をかけながら…。果物も楽しみだったし、他にもご機嫌になれるオヤツがあった。”トン、トントン、”と小さな太鼓を鳴らしてガラガラと屋台で売りに来る”わらびもち〜しがらき〜”がそれだ。これも甘くて冷たい。一番小さな舟に入ったのが、50円くらいだったのかなぁ。とにかく100円分も買ってもらった日には、飛び上がって喜んだ。

夏になると紙芝居屋サンが公園にやってくる。今でこそ、紙芝居を子供達に!と、テレビでも幼稚園などを廻っている人たちが紹介されているけど、当時わたしが知っている紙芝居屋は、そんな甘いもんではなかった。おっちゃんはごっつい怖かった。まず、紙芝居の台を立てて、ほんのサワリだけ話してくれる。(えらいダミ声で。笑)「かわいそうなメリーさん!あわれ一巻の終わりか〜。」などと、浪花節みたいな節回しである。子供相手に。そこで休憩が入る。しかし、本当はここがメインの商売なのである。おっちゃんはオモムロに引き出しを開け、いろんな駄菓子を集まった子供達に売る。大きなせんべいに練乳や、とんかつソースをかけたもの。もしくは、型抜きを巧くくり抜くと何かもらえる食べものとはいえないような塊。(でんぷん?小麦粉?あれって何やろ?)集まった子供らの中、それを買うお金を持ってきていない子らは、「お前ら、むこう行け!紙芝居みえへんところ行け!」とどやされ、そして「続き見たかったら、お母ちゃんに金もろて来い!」と引導を渡されて追い払われた。あれは、どこの地域もそうだったのだろうか?この経験から、紙芝居というと、ノスタルジーよりも怖いおっちゃんが思い出される私。もちろん大阪っ子たちは、「おっさん、そんなん見たないわ〜!あほ〜!!」と捨て台詞もする。たまには、お金を持っていって素直にオヤツを食べながら見る。どうせ紙芝居は二・三種類しかないだろうな、多分。


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先日頂いたおいしい西瓜を食べていたら、こんな古い話が次から次から思い出された。夏は素敵で、そして過ぎるのが早い。もう8月の声を聞いた。梅雨は明けたと聞かないままに。でもね、もうね、私が梅雨明け宣言するわ!でないと夏休みが減っていくやんね。食いしん坊のような話ばっかりの、今日のMemory Laneシリーズ、これにて終了〜。チョンチョン♪(拍子木の音)


chi-B&masta.GのMyspaceもご訪問ください。


8月14日(金)アメリカ村サンホールにてLIVEをやります。
どうぞ遊びに来てください。


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2009年07月11日

配達されたかき氷-memory lane-


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フラッシュ・バックのように、遠い昔のことをふと思い出すたび綴るMemory Lane(思い出の小径)シリーズを久しぶりに書きます。

父のいる病院への道のりは、陰のない炎天下。アスファルトからの照り返しと車の排気ガスで息苦しい徒歩。先日、真昼の太陽の下、あまりの熱光線に負けそうになり、「よし!かき氷を食べよう!」と決心して、一人で馴染みもない喫茶店へ入ってみました。かき氷なんて、もう十何年食べていなかったのですが、今は高くなったんですね。一杯500円のミルク(私は練乳が大好物なので♪)を注文しました。シャクシャクと氷を崩しながら食べているとき、ある大昔の出来事を思い出しました。

それはまだ、ミゾレやレモンにイチゴは一杯が60円。ちょっと贅沢なミルクが100円だったころのお話です。当時、大阪市阿倍野区にあった私の家から歩いて10分〜15分くらいの場所に、更科(さらしな)という名前のうどん屋さんがあり、よく家族でお昼ご飯などを食べに行っておりました。そこでは、夏になると、心誘う”氷”の旗がヒラヒラとかけられて、母や祖母にせがんでは食べさせてもらったものでした。今よりも、もっともっと大盛りだったように感じるのは、私の身体が小さかったからでしょうか。途中まで削っては、「パンパン」と手のひらで固めて蜜をかけ、そしてまた氷が乗せられて、またパンパン…蜜…氷…パンパン…をオジちゃんは繰り返して、しまいに富士山のようにきれいな山になったところに、とろりとした練乳をかけてくれる。その甘く冷たい魅力に私はぞっこんでした。

ある暑い夏の昼過ぎ、母から留守番をたのまれた私。たぶん幼稚園児だったか、小学校1年生くらいだったと思いますが、ふと「かき氷が食べたい。」と思い至り、いつも母がうどん屋さんに電話で出前を頼んでいたことを思い出しました。電話なんて、子供がかけることは許されなかった時代でしたが、留守番をしているから大人みたいにしてもイイだろう、と勝手な理屈を思いつき(笑)、電話帳を開いてかけました。「もしもし。○山通の長谷川です。」「まいど!(店の人)」「ミゾレのかき氷をヒトツ、持ってきて下さい。」「えっ?かき氷?!・・・・ヒトツ?」…しばしの沈黙の後、「すぐ行きますから、お嬢ちゃんね、家の表に出て待っててね。」との返事。貯金箱から出した60円を握り締めて待つこと数分。自転車に乗ったオジちゃんがやってきて、オカモチから私の注文したカキ氷を出してくれる。「こぼさんようにそーっと持って、玄関に置き。」と言ってから、「あのねぇ、カキ氷の出前はもう言わんといてな。今日だけやで。」とお説教されて、60円を渡したら、「おおきに!ほな、溶けるからはよ食べ。」と言って、オジちゃんは帰っていきました。

「もう言わんといて。」と言われた理由がもうひとつ理解できなくて、「注文したからお客さんやのに、なんで叱られるんや…。」と、ちょっと悔しいキュンとする胸の痛みを覚えつつ、玄関の上り框(あがり・がまち)に腰掛けながら、溶け出したカキ氷を食べた自分の幼さと、それでも持ってきてくれた今は閉店してしまった更科の、やさしいオジちゃんにMemory Laneでまた出会った、2009年梅雨の晴れ間のひと時でした。もうすぐ梅雨明け、暑い夏の本番がやってきます。皆さん、お身体大切に。また覗きに来て下さい。PEACE!

chi-B&masta.Gのマイスペースで”Osaka”でも聞いて行って下さい♪


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2008年07月24日

ふと父のことを


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本を読むのが好きで、子供の頃からお布団にもぐりこんでからも、こっそりと本ばかり読んで視力を悪くしたといわれる私。最近はもっぱら岡部伊都子さんばかり読んでいますが、女子高校生の頃に、ちょうど横溝正史がブームとなり、私もご多分に漏れず、そのおどろおどろしい日本特有の”ムラ”社会的な風習・因習の怖さと妖しさに引き込まれた時期がありました。読み出したらもう止まらない。授業中もずっと隠れて読み続け、読んだ尻から友達に廻して、あなたも読み!と押し薦め(これが案外好評で。授業よりうんと面白いんですから)、当時の本屋に並んでたものはすべて読破したほどハマっていましたが、そんな折、またしても普段はめったに真面目な話は振ってこない父が、

「てっこ、お前に読んで欲しい本があるんや。
 本代は僕がやるから、それで買ってきて読んでくれへんか。」

と、言い出しました。父も本がむちゃくちゃ好きで、書斎には床が抜けそうなほどの本があり、それも、普通の本屋では買えないような、このブログに書きにくいような、特殊な本もいっぱいありました。すごいコレクションでした。今はもう一冊も家にはありませんが。そんな父が買って来て読んで欲しい、といったのは、北條民雄さんの「いのちの初夜」でした。

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今で言うハンセン病(遠い昔、不治の病と恐れられ、伝染すると誤解され、患者さんたちは隔離政策によって家族と住む家からも遠く離され、施設に集められて、一生子供を持つことも許されなかった悲しい病気です。今は、伝染しない事も明らかにされましたが、被害者たちの失った若い日々は、もう戻せません。)に、自らも罹っていた作家が、ふりしぼるように書いた本でした。内容については、読んでいただいた方がいいので書きませんが、なぜだか、ふと今夜は父の気持ちに思いを馳せる形で、この本のことが脳裏に甦りました。

次の日、会社から帰ってきて、「あの本あったか?買うて来たか?」と聞いただけで、感想もなにも求めなかった父の心は。

横溝正史の怖い面白いミステリー、フィクション小説、に夢中になっている我が娘の姿を見て、きっと「もっと、この世に現実にある物語を知れ。痛みを持つ人がいることを忘れるな。」と、言葉には出さずともそっと思ってくれていたのが、さっき急にハッキリとわかったのでした。そして、教えてくれて本当にありがとうと思うのでした。これほど、心というのは伝わるのに時間がかかるし、でも、それでも価値があることだ!と思うのでした。

今も何も喋らなくても、私の動きや表情を遠くからじっと見て、何か思ってくれてるんかなぁ。そうだとしたら、ありがたく、うれしいことです。暑い夏、昔語りも時にはしながら、みんなでゆったり越えて行こうね〜。あ、masta.Gのブログが更新されています。お時間あるときにゆっくり読んでみて下さい。子供の頃の写真が数枚載りました。皆がかわいらしいです。「夢のつづき。すべてのオーサカ人へ。」http://mastagtalks.seesaa.net/article/103470226.html


chi-B&masta.Gの音楽はこちらで試聴できます。
http://myspace.com/chibmastag


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2008年07月12日

昔の市場が懐かしい


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まだ梅雨があけてないのか、どうなのか、ムシムシする毎日です。昼間に外を歩くのはほんとツライです。そんなとき、スーパーマーケットがありがたい!つい、買うものもないのに、飛び込んでしまいます。だって涼しい。汗だくで歩いてきた身には、まるで天国。で、何も買わずにしばし棚を眺めて歩いて涼ませて頂いています。どうもありがとさん。また数時間後に買いに戻るねんけどね。笑

昔の市場(シジョウ、じゃなくて、イチバ!ね。)も楽しかったですよね。今ごろの季節になると、魚屋さんや果物屋さんでは、天井から何本も蝿取り紙がぶ〜らぶらしてて、ぶっとい線香がぼうぼうと焚いてあって。あれは、虫を取るためのお線香だったのかな?葉巻みたいに極太・極長のサイズで。覚えてますか?今もあんなのを焚いてる地方もあるのかなぁ。蚊取り線香とはまた違った、夏の香りでしたね。ブドウやスイカの匂いと絡み合って、今も脳裏に残っています。

小さい頃、市場に連れて行ってもらうと必ずといっていいほど私はカツオブシ屋さんに寄っていました。値段や種類によって盛り分けられた色々な鰹節を、つまんでは食べ、つまんでは食べ…。豆腐屋さんでは、おじちゃんの目を盗んで冷たいお水に手をつけて…、おじさんがバーナーで焼き豆腐を作っているのを必死で見つめ…。揚げたてのウスアゲの香ばしい匂いに、鼻の穴を広げてクンクンし…。おねだりして買ってもらうのはコロッケ。たった一個の時には新聞紙にくるんでもらって、食べながら打ち水された涼しい市場を歩き回る。もっと暑い日には”冷やし飴”を買ってもらって飲んで…。ああいうのは、もう出来ないんやなぁ〜とちょっと寂しいですね。なんでもパックに入ってるから、触る事も、ちょっとつまんで食べる事もでけへんね。今の子供らよ、ザンネンですねー。

昔は良かったといったら、年寄り扱いされたり、場合によっては年寄りにさえ、ノスタルジーに浸るな!なんて云われたりする事もありますが、確かに良かったと私は思ってます。もう帰れないんかな。田舎に行くとまだ体験できるのかな。今の時代にもまだこんな市場がある人たちは、どうぞ大事にして下さいね。秤で計って、天井からつるしたカゴにお金を無造作に放り込むしぐさを、子供の頃は憧れて見ていたものでした。で、大きなお札は、かならずおっちゃんの前掛けの中にしまわれるのでしたね。笑 よう見てました。なつかしいね。

明日もまた、涼しいスーパーへ入って、汗が引くまで一人でグルグル〜ッと店内を巡りながら、そんなことを思い出すことでしょう。皆さん、2008年の夏、どうぞ思い思いの形で楽しんで下さいね。


chi-B&masta.G ライブ
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2008年02月19日

メモリーレイン:スタジオ56


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メモリー・レイン=思い出の小経シリーズ、今回は”スタジオ56”。今もあるのか定かではありません。ハリウッドの南(ちょい西より?)のはずれだったと記憶しています。崩れそうな古いビルディング。ちいさなネオン・サイン STUDIO 56 が夜だけ灯されるけど、注意していないと見落としそうな建物。その中で繰り広げられていた、当時(といってもほんの5・6年前)の最先端の一種だったと思われる音楽シーン。私が音楽学校に行っていた短い期間、ここに何度か顔を出したときに幸運にも垣間見ることのできた、アメリカのアンダー・グラウンド的な音楽を育んでいた場所。それが今日のMemory Laneです。

LAに行くと必ず手にとるのが、フリー・ペイパーLA WEELKY。そこには、その一週間のうちに催される、ありとあらゆる種類のLIVEやパーティーや映画、演劇、講演会、セミナー、カルチャー・スクールなどが網羅されています。masta.Gはこれを見ているのが大好きで、小さな記事まで絶対に見逃さずに、穴のあくほど見ていました。ある日、ふと、「コレ何かな?」と聞かれ、読んでみるとレゲエとヒップホップのLIVEだとの記事。場所は…同じハリウッド。でもアメリカは広いのでした。車もない、タクシーも勿体ない、ということになり、結局、歩きに決定。夜のハリウッドは、春とはいえダウン・ジャケットがいるほど寒いけど、そこは音楽好きの二人組み。暗闇の中、片道およそ30分程の道を歩いていきました。(途中、誰一人として歩いてない静かな界隈なのです。たま〜に酔っ払いに出くわすか、どこかの飼い犬にワンワン鳴かれる程度で。)

分かり難い、小さな入り口を探し出して入ってみると、African-Americanのお姉さんが笑って出迎えてくれる。女の子は入場料が安くなっていました。スタジオといっても、中はかなり広いワン・フロアで、奥に広めのステージが作られて、DJブースがあってHIPHOPのレコードが流れてました。まだ人はまばらで、客席みたいな上等なものは無く、壁にグルっと椅子が置かれてるだけ。真ん中は踊るために空けてあります。別の一角に目をやるとバー・カウンターもどきがしつらえてあって、白人男性がけだるそうにボーっと座ってる。そこで初めてWarm Guiness(冷やしてないぬくいギネス)を注文しました。だんだんと集まってきたAfrican-Americanの人たち。女の子は綺麗な素足に超ミニ・スカートが流行ってて、その中に何人も原色満載のアフリカの民族衣装を身につけた、少々年配のおば様たちも。そして、若い男の子達に、もちろんレゲエのイベントらしくドレッドロックスの長い美しく黒光りする髪が揺れて。。。精一杯のお洒落をして来たみんな、陽気で元気。色の違う私たちを見るとはにかんで挨拶してくれる人もいました。

つづいてミュージシャン達が遅れつつ登場。出演予定の数バンドが続々と集まって来る。ドラマーは、楽器のケースなんてなく、使い古されたダンボール箱にタオルで包んだドラムをいれて、重そうな顔は微塵も見せず頭の上に掲げて運ぶ。もてない分は足で軽く蹴りながら。そして、鳴り響くヒップホップに合わせて、踊りながら歌いながらのセッティングもなかなかカッコイイし、見てても楽しいものでした。(今日のは、ぜったいに記憶に残るLIVEになるな。)と私も直感。始まるまでにいろんなミュージシャンにご挨拶。ハリウッドで音楽を習ってて、日本ではLIVEもやってることなど、話は尽きないのでした。

メイン・ラッパーの一人はJamaican、ダンス・ホール・レゲエのDJ。すごくお洒落な衣装に、お決まりの杖を持って、不思議なモードでジャマイカの風をぶんぶん吹かしてる。そしてそれにからむのは、masta.Gが大絶賛した若いHIPHOPPER TryDat。動きすぎて、すべって何度もこけそうになるほど踊りまわる元気ぶり。すんごいエネルギーを出しまくります。「今日は日本から友達もきてるぞーー!」(私達だ!他に誰もいてないし。)との声に、周りの女の子、男の子たちが、場を譲って最前列にそっといざなってくれる。優しいんやね。曲が次々と変わっていく中、ときおりラッパーが演奏を中断する。「違う違う。お客さんら、動きが間違ってるよ。こう!!」と、私達オーディエンスに身体の動きを注意する。PrinceのLIVEでもこういう場面がよくあります。「違う。こう!だ。」とオーディエンスに指示が飛ぶ。少し複雑な手拍子も入って、それができるまで、しばし練習タイムがある。こういうのが私などにはとってもありがたくて、それは、masta.Gとの練習のときも全く同じです。いつもの光景といったところです。

ミュージシャン同士はもっと激しい。先輩・後輩みたいな関係もみられました。別のドラマーがステージの端に腰掛けて、スティック振り回してステージの床を叩きながら、演奏中のドラマーに大声で、「ノー! 早いぞ!だんだん早くなってるがな!!」とダメ出しして、演奏はまた頭から。これは公開リハーサルの様相。そう、こういうのが見たいねん!値打ちあります。学校へ行ってる数倍も、勉強になります。次から次からいろんな演奏者や、まだ始めたばっかりだなと判る可愛らしい女性ボーカリストが出てきて、息つく暇もなく音楽が流れ続けて、しかもどれもが大好きなフィーリング。お客さんも熱くて、ステージに片足かけて一緒にマイクに乗せんばかりの勢いでラップしているお姉さんもいる。lol 全員のステージが終わったら、楽屋まで一緒に連れて行ってくれて、そこであれこれ食べ物や飲み物を振舞ってくれました。誰がお客で誰がミュージシャンなのかもうゴチャゴチャでわかりません。ただただ楽しいだけ。いきなり激しい口げんかを始めるおば様を尻目に、フライドチキンにドリトスに手が伸びるB&G。ぜんぜん平気。だって、あんまり早口のスラングで、何で怒ってるのかさっぱりわからんし。こっちはとうにお腹ペコペコなのです。

このイベントには、何度か出かけました。何度目かに、「今日は中止」の貼り紙。途方にくれてボーっと立ってると、近くに止めた車の中から顔なじみになったバンドメンバーが、こっちへ来いよ、と呼んでる。行ってみると、「客があんまり集まらんから中止にされたゎ。」とちょっと落ち込んでます。(わかる!わかるで、その気持ちは。)私も、音楽学校で彼らのイベントのチラシを配って集客に協力したのですが、レゲエやヒップホップというジャンルにこだわりがあったのか、知らない所に来るのがこわかったのか、夜のハリウッドのはずれまでやって来る生徒は誰一人として居なかった。私に言わせれば、音楽を学びに来たのならあれは見逃しちゃイケナイものなのですが。あーあー、えらい損してるよ〜、と思ったものです。

「せっかく来てくれたから、新曲聴いていく?」との優しい言葉。カーステレオから流れる新しいバックトラックに合わせて、車中の4人はいきなり頭をブンブンふってラップとコーラスを始める。ぴたっと合ったその動きに見とれてる場合ではなく、これは私の大事な練習のチャンス!車の外に立ったまま、見よう見まねで身体を振ってみる。ナンだか自分だけちょっと違うのを気にしながら、必死で合わしてみる私。それを(後で悪かった所を指摘するためか?)横目でじっくりチェックしつつも、自分は気楽に一緒に揺れてるmasta.G。「今のわかる?? 最近ヒットしてる曲のリズムにあわして作ったとこ。わかる?」はいヨ、わかります。それはメアリー・J・ブライジのFamily Affairの始まり!と私。「おー!そうそう!!わかるねんな。」と喜ぶラッパーの一人。彼らのうちの一人とは、今もメッセージをやり取りする間柄で居ます。大事なMusician Friendsの一人です。今日もどこかで、フロアをROCKしてることでしょう。また会いたい。今度は一緒にステージに立ちたいものです。その日まで鍛錬がんばろっと。

アメリカ、アメリカ。きっとまた行くからね。
こうしている時にも、凄い瞬間があちこちで生まれてるのだろな。。。
皆の願ってるビッグ・チャンスに恵まれるとええね。
With much respect to all the good players in the world!

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2007年11月12日

あんみつ姫が父の願い


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photo from photobucket


今日リハーサルスタジオへ向かう道すがら…ただ無心に歩いていたつもりだったとき、ふと脳裏に、忘れていた父からの言葉がよぎった。というよりも、まるで時間がワープしたように父の声が鼓膜にそっと蘇った。別にSFかオカルト的な話ではなくて、ただ、誰にもおそらく経験があるように、昔の記憶が鮮やかに私の魂に響いてきた。

これは…身体の感覚から想像するに…おそらく小学校へ入る直前か、幼稚園児くらいの頃の気がする。お酒が入らないとめったに口を開かなかったけれど、その実、子供にはとても甘くて優しくあった父が、私にだけは、そっと内緒ごとのように話をしてくれることがよくあった。なかなか仕事がなかったのか、幼児の頃は、朝ごはんから私だけを外に連れ出してレストランや喫茶店で食事をさせるような、いうなれば(他人から見れば)とっても不良的な父であったけれども、何か大事な事はいつも突然に教えてくれた。(私が小学校へ入る頃父はちゃんと人並みに就職をしたことを付け加えておきます。)ある日、急に、「今日からイロハ…を覚えて欲しいんやけども、習うか?」と言い出して、紙と鉛筆を持ってこさせ、『色は匂へど散りぬるを…』と話し始めたことがあったように。母は、父がぜんぜん子供の教育に参加しないと愚痴っていたけれども(苦笑)ほんとうは、こうしてそっと教えてくれた事がうんとあるのだ。『大きくなって悪い男の奴に酒飲まされて、悪さされんように酒は強〜うなれ!男が先に酔うくらいになったら大丈夫や。自分で歩いてか、タクシー乗って家へ帰れ。』なんて云いながら、若かった私にスクリュー・ドライバーを飲ませたのも忘れられないし、誰が文句言おうと、もう時効である。

『あんなぁ、てっこ。パパなぁ、お前が大きなったら
”アンミツ姫”みたいな女の人になって欲しいとおもてんねん。』


アンミツ姫という名前は、幼かった私にとってはまったくの初耳で、
『誰それ?どっかのお姫さん?』と尋ねたら、父はこう説明してくれた。。。

そぅや。アンミツ姫はな、テレビの劇でやってた可愛らしいお姫さんや。美人とちゃうねんけどな、ものすご可愛らしい。いつも元気でな。やんちゃでな。その人がお城からこっそり抜け出して遊んでるんやけど、町で困った事が起きたらトンチを働かして解決するんや。悪者を退治するんや。そのやり方がな、誰も泣いてへんように、エエようになるように、一所懸命よ〜う考えるんや。誰にでも優しい賢い女の人や。そんな女の人になって欲しいんやけどな。(ここでニコッと笑って)まあ、パパの理想やねんけどな。

〜時は流れて〜

今も私は父と一緒に暮らしてる。もうお爺ちゃんである。身体を壊して以来、大好きなお酒も飲む事は叶わず、また何も喋らない毎日が続いても、私の帰りが遅くなった日には心配してくれていることも感じてる。ありがたい。こんなに大きくなっても、やっぱり自分の身体の一部のように思ってくれてるのがわかるから、今日もしあわせにベッドに入ることが出来る。日に日に歳とっていく親の姿を見ていると、いつまでも子供のようでは申し訳ないと重々わかりつつ、ちゃんとご恩返しができますように、と思いながら眠りにつくことが出来るのも、これやっぱり、親の愛情の力ということに気付いて、ありがたさが溢れて祈るような気持ちにさせてもらっている。あんみつ姫になれるかどうか、ちゃんと約束したのかどうか、そこは不思議に記憶はなくて、生まれついての天邪鬼だった私のことだからきっと『う〜ん…無理やと思う。』とでも云い放って、父をガッカリさせたのだろうなと思うけれど、そういいながら、こうして何十年過ぎてもフッと思い出す辺り、案外その気が湧いていたのかもしれない。

優しい魔法をかけてくれてありがとう。音楽でやってみます!お父さん。


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追伸:
こんな独り言を読んでくれてありがとう。皆さんの大切な家族の思い出にありがとう。わかってくれてありがとう。信じてくれてありがとう。どうぞchi-B&masta.Gの音楽を聴いてみて下さい。PEACEを!! http://myspace.com/chibmastag

MYSPACEで『平和RAPPA』を下ろして『Incomplete』をアップしました。『黄昏incomplete偲び草』の英語のみのバージョンです。英語と日本語の歌詞と英語の訳はすべてここ↓にあります。どうぞ。新曲『Osaka』もお聞き忘れなく♪ http://www.queenbmusic.com/fareasthiphopsoulqueendom/id69.html

黒ハート



posted by chi-B at 23:55| 大阪 ☔| Comment(0) | Memory Lane(思い出の小径) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月06日

文房具屋さんは今もある?


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雨の大阪からchi-Bです。こんばんわ。明日(もう今日になりましたが)も雨模様ですね。こうして一雨ごとに少しずつ冬らしくなっていくんやろうなぁ…なんて考えていますが。ほんとに今年はアッタカイ!去年辺りは10月にストーブを入れてる夜もあったように記憶していますが。。。

今日たまたまテレビで絹糸のドキュメンタリーを見ていて、すごく古い記憶が蘇り、自分が子供の頃にカイコを飼ってたことを思い出しました。小学校低学年の頃なので、もう何十年も前だけど。毎年、夏休みが始まると、学校の前の文房具屋さんに「カイコ入荷しました」のポスターが揺れて、それを見て、母にお小遣いをもらって買いに走ったものでした。多分、カイコを売って、子供らに夏休みの観察日記でも書いてもらおうか、という文房具屋さんの思惑があったのでしょうね。

初めて見たときに、子供だったからか、気持ち悪いとは一向に思わず、安い安い値段で(たぶん一匹5円とか10円とか…そんなだったかなぁ?)数匹買ってもらって、マッチ箱に入れてもらって帰ったものです。母がお菓子の箱をくれて、そこに入れて飼うのでした。卵から孵ったばかりのカイコ達は真っ黒だったと思います。えさになる桑の葉も、文房具屋さんが売ってましたねえ。知ってる人はいるでしょうか?初めての脱皮を終えると、カイコはマッシロの身体になります。それが、触るとすべすべしていて、綺麗ンです。桑の葉を欲しがるときに、身体をそっともたげるような格好をするのが、何とも云えず愛らしく、ほお擦りなんかして。(笑)名前をつけるとかは思いつかなかったけど、とてもよく世話をしたものです。父に「あんまり触ってると、手の塩気で死ぬよ。」と云われて、またそっと箱に戻して、桑の葉を食べる音を聞いていました。

何回もの脱皮をして、だんだん大きくなって、ちょうど夏休みが終わる頃に、カイコ達は糸を吐き始めます。そうすると、母が割り箸を組んで繭のための部屋みたいに区切ってくれました。そして、すべてのカイコが繭の中に入ってしまった頃、お菓子の紙箱はふたが閉じられます。9月の新学期、先生に渡すのでした。先生がふたを開けると…思いっきりグロテスクな形をした蛾がばさばさ〜!!っと出てきて、先生は飛び上がります。私は、羽ばたいている蛾を、そっと見ていたのでした。きっと私が見ていたのは、ちいさなモスラだったんやろなぁ。。。今、もう気持ち悪くて触れなくなったのは、私の中の何が変わってしまったんやろなぁ。。。ちょっと気になる秋雨の夜です。

文房具屋さんは、無くなっていってますよね。さびしい事です。私は文房具を見てるのが大好きで、LAでもリトル東京やソーテルの日本人向けの店で、文房具を買っていました。外国人はいつも、私が持っているものにきょうみしんしんでした。筆箱にたっぷり入った鉛筆に、細いの太いのがあるシャーペンに、カッターナイフ。替え芯のケースに、いろんな色のボールペン。いい匂いのする消しゴム。質のよいスベスベの紙でできたノート。ものさし。何よりも注意を引いたのは…下敷きでした。「それは何するもの?何でそんなのをひいてるの?カーボン?」とかよく質問されました。それに、「何で字を間違うたびに、ちゃんと消して書き直すの???」という質問もよ〜くされたものでした。笑って説明するけど、単に私だけが病的に丁寧なんだと思いこんでるようでした。

それはね、きっと外国で生まれ育った貴方達にはわからないねん。
ザンネンでした♪この細やかさがあったから、メイド・イン・ジャパンは優秀だといわれるようにまでなったのかも知れんねん。今はどうなのか、知らないけれどね。私の住む街では、もうほとんどの文房具屋さんは無くなって、子供たちは量販店やコンビニに行ってるようです。文房具屋さんになりたいと、思ったときが何度もあった私には、ほんとはとても寂びしいんですよネ。ノスタルジーと笑われても。

chi-B&masta.Gの音楽を聴いてくれる人はコチラでどうぞ。。。


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posted by chi-B at 02:05| 大阪 ☔| Comment(2) | Memory Lane(思い出の小径) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月11日

洞窟歩きの思い出


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私達が普段リハーサルで使っているスタジオは南大阪にあります。市の施設で、なかなか立派な建物で、スタジオ代が安ければもっと誉めたいところです。(笑)上の写真は帰りのバスを待っている間に撮ったものですが、よく見て頂くと南河内のTwin Peaks=二上山(にじょうざん)が写っています。今日も空は青々としてて気持ちよかったですネ。入道雲がアイスクリームか、カキ氷に見えました。こんな夏日は、プールでもいいから行きたいなあ〜。もっと欲を言えば海へ。いや、実は私は何を隠そう、山の中も大好きなんですよね。海以上にめったにいけませんが。湖とか、森とか、湖畔の宿?(って何処?)そういう場所へ行きたいな。

今日、マイスペースで新しいお友達リクエストをケンタッキーの白人ラッパーさんからもらったきっかけでふと思い出したんですが、昔々、イリノイ州に留学していた頃、寮の外国人軍団(含chi-B)とアメリカ人の大学院生達との数人のグループで、米国ケンタッキー州にある「Mammoth Cave(マンモス・ケイヴ)」という国立公園に一泊キャンプに行ったことがありました。マンモスというだけあって巨大な洞窟で、中をツアー案内人に連れられて一時間以上(二時間近かったかも)歩きました。涼しいですよ。寒いくらいです。まるで映画に出てくるような、えげつなく大きくて深い洞窟です。

350 miles long and 379 feet deep,
Mammoth Cave is known as the longest cave in the world

今わかっているだけでも、長さが350マイル。深さが379フィート。
まだ今も発見されていない新しい道が伸びているらしいですが。

途中でガイドさんが、洞窟の暗さを体験させるためにランプの明かりを消すのですが、もう漆黒の闇。何も見えません。真の闇は実に真っ黒けです。お寺の回廊めぐりどころではない怖いくらいの闇でした。夜はその巨大な公園内でのキャンプ。私の人生でテントに寝たのはあれが最初で、ただ一度の経験です。グリズリーが出そうで、これもスリリングでした。楽しかったなぁ。よく想い出したナ、しかし。すっかり忘れていました。

思えばあの頃は、ほとんど無口な。ただ食べて飲んで感心してるだけのごく一般的な留学生でした。今の自分と比べると、まるで別人やん。なつかしい。遠くまで行ったんやなぁ…この足でねえ。夢見ていたかのような不思議な気持ちになります。もっと行きたいところがあったのにな。またチャンスが来ますように。がんばって生きよっと♪ご褒美がくるかもしれん。^^

私の心は自由に飛びます。

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Kentucky's Mammoth Caveのサイトはhttp://www.mammothcave.com/
写真見るだけでも素晴らしさが判るかも。どうぞ。
posted by chi-B at 02:10| 大阪 ☀| Comment(2) | Memory Lane(思い出の小径) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月09日

陽射しの記憶


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夏の空はいいですね〜。朝も昼も夕方も夜も、どれもグーッド!
色がいいよね。うん。濃い色が好きな私にはタマリマセン。
今日はお墓掃除に行ってきました。LIVEのご報告も兼ねて。

LAに行ったとき、いつも一番最初に「西海岸に来た〜」と思うのは、
空港を出た瞬間に見上げるあの青すぎるくらい青い空と眩しい太陽。
大阪の空は色が薄目だけど、それでも真夏に見られる色は好き。

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そろそろ日焼けしてきて、顔色の悪いのもカバーされて来ました。
マレーシアのお友達に久々に会った時、空港で出迎えた人が、
「You look like a sick person! (病人みたいに見えるぞ。)」と
言った事があったっけなぁ。あの時、私は心が病んでたんやろなぁ。
もはやお金のためだけの仕事を朝から晩までしてたからなぁ。

3週間、赤道直下で遊びたおして、帰るときにはもう真っ黒で。
「That's our "Adik". (それでこそ僕らの”妹”だ。)」と
空港で見送ってくれた”Abang(お兄ちゃん)”達は元気かな。
あっと言う間に、もう遠い遠い昔の話になってしまったけど。

こうして今日も日が暮れて。
明日もきっとイイ天気になりそうな、そんな夕焼けでした。

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ポケットに入ってた夏の砂がパラパラとこぼれ出したように、
忘れたころに、想い出がこぼれ出します。
空を見るのが好きなのは、それだからかな。

みなさん、おやすみなさい。じゃあ、またネ。
posted by chi-B at 00:47| 大阪 ☁| Comment(0) | Memory Lane(思い出の小径) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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