2012年05月20日

フィッシャー・ディースカウさん、ありがとう。


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ここ数日、つぎつぎと素晴らしい海外のミュージシャンが亡くなったというニュースが飛び込んできて、また好むと好まざるとにかかわらず、有無を言わさず、時代が動いているのを感じています。どの人もOne&Onlyな存在で、世界中でその死を悼む声が尽きないなか、ドイツのバリトン歌手、ディートリヒ フィッシャーディースカウさんが亡くなったことを新聞で知り、少なからずショックを受けています。普段、ヒップホップだのファンクだのばかり話している私が、この人の何を知っているんや!と思われる方も居られるかもしれませんが、私はこの人の歌声とミュージシャンシップにずいぶんと助けてもらったことがあるんです。

音楽を始めた経緯は、このブログの音楽物語でも延々と書いていたことがありますが、私は人前で歌を歌うなんて考えたこともない人間でした。音楽は何よりも好きで、でもそれは聴くものであって、自分がやるものとは思っていませんでした。やれるとも思ってなかった。楽譜なんか読めないし、楽器は3歳から6歳まで習ったオルガンだけで、もう何も覚えてない。大声で歌ったこともなくて。小・中・高の音楽教育なんて、ほとんど役に立つことなどなく、ただ歌詞と大まかなメロディーを覚えて歌うことだけが繰り返されていただけ。ボーカリストの鍛錬するべきこと、あるべき姿を考えたときに、この国の中で自分が心のよりどころにできるような人が思いつかなく、かと言って自分ひとりの頭ではもう何を手がかりにして歌うことを学んで行けばいいのかわからず、まったくの救いようのない初心者のまま、ぐるぐると同じ場所を回っているだけのような寂しさを感じたものです。masta.Gは芸大時代にクラシックの歌唱法も勉強していたので、ドラムを叩きながら教えてくれていましたが。私は自分を客観的に聴くことなどできず、その頃は困り果てていました。

そんなとき、NHKで始まった『シューベルトを歌う』という番組。masta.Gの薦めもあって見るようになりました。それの講師をしておられたのがフィッシャーディースカウさんでした。私がやるのはクラシック音楽ではないですが、溺れる私は藁をもつかむ気持で、毎回それを見て、録画したものをまた見て、番組の本を買って、しているうちに、この人の魅力にどんどんと引き込まれて行きました。ゲーテの作詞によるものもあったと思いますが、その詩をよく理解して、歌に登場する人の心を想像して、音としての言葉を大切に、表情から想いから身体の芯から素直に出すその歌声は、やさしくて強い。生徒さん達へのアドバイスも的確で、厳しい中にも愛あるインストラクターでした。その愛は、彼の音楽への愛だったと思います。まるで自分が教えてもらっているような気持ちで見たものでした。生徒さんの汗や、悪いところを指摘されてちょっとグネっとなる心が、まるで自分のことのように感じられる新鮮さ。。。音楽は基本的に習うものではないとはいえ、まったく五里霧中の人間には、彼のような人が必要な時期が絶対にあると思えてなりません。でないと、好き勝手にやってしまっていては、遠回りばかりして、自分勝手な解釈で固まってしまっては、本当に好きなものには、たどり着けないかもしれない。ダメだしをしてくれる人、そして、手本になる人が、ちょっとの間、必要なんです。そして、その教えは一生もんです。

正直、ちゃんと理解して見ていたとは言えないと今は思いますが、これからも忘れずにいたい、言葉にできない、頂いたものが頭に残っています。一生もんの教えに出会えたことに感謝と尊敬をたくさん感じています。フィッシャーディースカウさん、ありがとう。今でも眠りにつく時にあなたのCDを聴いていることがよくあります。一方的ではありますが、あなたとの出会いを大事に胸にしまって、がんばって少しずつ実現できるようにやっていきます。お疲れさまでした。音楽をありがとう。歌声をありがとう。




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posted by chi-B at 03:00| 大阪 ☁| Comment(0) | アマリタマリ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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