2005年09月27日

ラジオがくれた贈り物#7 あの日"What's Going On"が流れた

時は流れて1992年。私はWest L.A.で暮らしていました。

1991年の頭から東洋医学の大学に入ったのですが、初めは車の運転が怖くてカレッジのあるサンタモニカで住んでいました。そこはお年寄りの多い街で、海の近くでした。綺麗な観光地です。そろそろ少し遠くても大丈夫かなぁ、っと思ったのでやや離れた土地へ移ったのです。日本のマーケットにも近いWest L.A.は、日本のTV番組を収録したビデオも即送られてくるので便利だったこともありました。

それは突然に始まったように思えました。

初めはTVに映っている事が遠い異国の出来事かのようでした。

L.A.暴動…と呼ばれた出来事。

スピード違反で捕まったある一人の黒人男性に白人警官4人が殴る蹴るの暴行をし、この一部始終をビデオに録画していた市民がいました。
このテープが陪審裁判の証拠として提出されたのですが、評決は白人警官4人ともが無罪だったため、この裁判の様子をテレビで見た黒人が多く住むサウスセントラルで、一部の市民が自然発生的に抗議デモを行っていたのですが、いつの間にか人数が膨れ上がり、あっという間に暴徒化していきました。

商店を襲い、品物を奪い去り、店には火を放ち、発砲し、最終的には死者47人、逮捕者9600人、放火による破壊5千軒、被害総額5億5千万ドル(約715億円/@$1=\130)という大暴動に発展したのでした。(数字はサンホゼの新聞記事を訳したサイトを参考にしました。)

発砲や暴力や略奪には黒人だけではなく、自分の店を守ろうとするアジアの人たちや、便乗した他の外国人も混じっていました。ハッキリ云って、商店から物を盗む人の中には日本人留学生の女の子さえ混じっていたくらいです。州兵が投入されるまで、面白半分にやっている人たちがどんどん増えていっていました。人間は恐ろしいものです。

その日、私とmasta.Gさんは、友達の家に行く約束をしていたのでした。
初め、そんなに大変なことが身近で起こっている(迫ってくるという)認識は無く、
「とにかく早めに行って、早めに帰って来ようか」と、車で出かけたのです。

しばらく走って居ると、とんでもない事が起こりつつあるコトを五感で知りました。

まだお昼だったのですが、夜のみの外出禁止命令が出たらしく(午後六時以降だったかなぁ〜?ちょっと正確には忘れました。)、仕事を切り上げて家に帰る人の車で道が大混雑して、いつもなら30分ほどで到着する道が、車でいっぱいで動けません。どんどん時間は経ちます。

クラクションがやかましく鳴り響いて、だんだん人はイライラしてきて、
運転する私も、ナンだか手が震えてくるような、なんとも言えない不安に包まれていました。
その時でした。

いつもかけているブラック・ミュージックの番組をつけると、
DJが皆に呼びかけています。

「今、街で放火したり、暴れたりしている皆さん、ブラザー、そしてシスター、
どうぞ家に帰ってください。あなた達のしていることを今、あなた達の子供らが見ています。
良く考えて。家に戻って子供達のそばに居てやってください。」

そして、次々とラッパーやシンガーがLIVEで話しかけます。「Please go home.」と。
「Calm down...落ち着いてくれ。」と。

そして流れたMarvin Gaye、What's Going On?

きっと多くの人がこの放送を聴いていたと思います。他にも色んなソウル・ミュージックが流れたような気がします。

(回想…)
 昔、この事件よりずっとずっと昔、誰かにWhat's going on?ってなんていう意味?と
 聞かれたことがあります。その時はよく解らなくて、大学のアメリカ人の先生に質問した。
 「何してるの?」という意味だと教えてくれたのでした。もひとつピンと来なくて、
 もっと説明してもらうと、「自分の解らない理由(良い事でも悪い事でも)で、
 他人が騒いでたりした時に、一体何が起こってるの?と尋ねる言葉」だと知りました。
 この事件の瞬間、その文章の持つ意味がガツーンと身体に入ったものです。

やっと友達の家について、また急いで帰る道はガラガラでした。人っ子一人居ません。
不気味な雰囲気だと思って、ある角を曲がった瞬間見えてきたものは、

煙。あちこちから出る炎。
そして商店に走りこむ人、人、人。手に手に新品のテレビなんかを抱えて出てきます。
銃も持っているようです。

収まりのつかなくなった群集。とうとう私たちの帰り道辺りにも暴徒が迫ってきていました。

何とも言えない恐怖でした。引きずり出して殴られるかもしれない、撃たれるかもしれない。

皆が車で来ているものだから、交差点は信号なんてあっても無いと同じ、
何台もがめちゃくちゃに路上駐車しています。
その車にあてないように細心の注意を払って、
抜け出したとたん、信号なんて無視です。ダッシュです。
猛スピードで逃げました。タイヤがキュルキュル〜っと軋みました。


音楽をするということ。ミュージシャンであるということ。

ラジオを放送するということ。DJであるということ。

国によって、人によって、様々なとらえ方があるとは思いますが、

かの国の、かの地の彼らは、心底、本気で放送していました。

「アナウンサーとして中立な立場で報道するのみ」という遠くからモノを見る考えではなく、

自分の気持ちを訴え続けて、何とか怒り狂った群集を沈めようとしていました。

そして、黒人差別と戦ってきた歴史の中から生まれた曲は、

何十年と経った後に、再び目覚めて、魂と愛を街に届け、平和を祈っていました。

黒人達の生活に沁み込んだカルチャー。音楽、ラジオ。その懐の大きさを知りました。


その時は、自分が音楽をすることになるとは思って居なかった時代でした。

でも、音楽をするということはどういうことかを、その日、間近で感じたのでした。


(そして日本で…)

あちこちで、What's Going On?をコピーして歌う人を多く見かけます。
素晴らしい曲ですので、皆が好きなんだと思います。
たった一つお願いは。。。そんなに乱暴にシャウトしないで欲しいということです。
よーく、マービンの声を聴いてみてください。ダニー・ハザウェイでもいいです。
優しい声で、優しく歌っています。出だしから終わりまでです。

「泣き叫ばないで、死なないで、エスカレートしないで。
 愛をもたらそう。愛だけが嫌悪を克服できるのだから。」

そういうメッセージを送る曲です。。。その精神で、どうぞ大切に歌ってください。
熱いメッセージですが、クールに涼やかに、優しさゆえの強さで、お願いしますネ。

試聴するならコチラを…
Marvin Gayeで聴く!http://www.towerrecords.com/product.aspx?pfid=1028816

Danny Hathawayで聴きたい!http://www.towerrecords.com/product.aspx?pfid=3003115






posted by chi-B at 01:49| 大阪 ☁| Comment(0) | ラジオの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月24日

Queen Latifahも"Mercy, Mercy, Mercy"が好き!

昨晩の記事の補足です。

私の大好きな、というよりも尊敬すると云った方がいいかも知れない女性ラッパー、

Queen Latifah。ずっとずっと見てきたけど、彼女はVocalistとしても最高にいいんです。

非常にスキルとスピリットのあるラッパーであり、同時にソウル溢れるR&Bシンガーです。

そんな彼女は、歌モノばかり集めたアルバム「Dana Owens Album」を出しています。

その中に、昨晩私が紹介していた曲Mercy,Mercy,Mercyを歌っています。

初め、このアルバムに入っているSimply Beautifulという曲が欲しくて買ったんですが、

とんでもなく嬉しい驚きでした。好いツボ押さえてます!

試聴はコチラでhttp://www.hmv.co.jp/product/detail.asp?sku=1802798

posted by chi-B at 12:32| 大阪 ☀| Comment(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ラジオがくれた贈り物#6 Mercy,Mercy,Mercyの流れた夜

おっと!もう夜中か〜。。。いつも早く寝ようと思って実現できないchi-Bです。
こんばんわ!

さっきブログをサーチするページを見てたら、
いろんな携帯電話の着信拒否機能を説明してるブログのリストに混じって、私の

『着信拒否…それは現代病のひとつ』

という過去記事のタイトルが載っててビックリした。笑 
他のは皆、色んな機能の説明なのに、私のだけ完璧にアンチ。。。根本的に真逆。。。

これでいいわ!B&Gから現代社会へのメッセージだもの。

さてさて、本題です。
。。。少し時代は飛びますが、またいずれ戻ります。。。テキトーに。

'80年代からずーっと、留学や旅行でアメリカ本土やらグアムやらハワイやら東南アジアやらに
リピーターとして訪れる年月が延々と続いていたのですが、私はどの国へ行くのも、いつも必ず一人で出かけていました。一人で冒険をする方が気楽と思ってたからです。好きに寝て、好きにおきて、自分のしたいことが出来て。。。

でも、私はある人にどうしてもアメリカを見て欲しかったのです。
それは、いつも海外から帰国する度に、私が日本の匂いのしない場所を求めて行っていたお店BAGUSのオーナー辻川"masta.G"雅治さん、その人。お世話になってばっかりの人。

それまでmasta.Gさんは外国へ入ったことのない人でした、でも、何故だかお店の雰囲気から、かかる曲から、何から何までアメリカの文化の香りで一杯で、十代から私の隠れ家みたいなお店だったのです。本当に色んなことを見聞しました。だから私の思う最高を見て欲しかった。

「行ってみませんか、アメリカ?」

その問いへの応えはYES!でした。時はおそらく'80年代終わりごろです。

私は当時はフロリダへ行ってみたかったのです。なんでか西海岸は避けてました。
たくさんの日本人が新婚旅行でも行ってたし、大人なのでディズニーlandとかもうイランし、
もっと「遠くへ」逃げるように行きたかったから。
で、そこで学校でも探して、また一人で渡米して何か勉強しようと思ってました。
フロリダからカリブの方にでもチョクチョクいけたらイイワとか考えてた記憶があります。
まさにのーてんきです。遊んで暮らす事だけが目標でしたから。マジで。ダメダメやね。

でも、masta.Gさんの知り合いがL.A.に長く住んでるので、彼に会いに行きたい、
という大きなG目的があって、行き先はLos Angelesになりました。
(ここからが私の音楽家人生のプロローグです。本人さえ気づいていませんが。)

当時はまだバブルの終わりごろ、贅沢ムードが日本中を駆け巡ってました。
「L.A.行くならホテルはビバリーヒルズ・ホテル!!」と私は決めてました。
何でか家から国際電話をかけて直接の予約をしました。(そういう性格なんですね。多分。)

ミーハーですが、初めてのL.A.なら、高級なところも経験してみたかったし、
イーグルスのホテルカリフォルニアの写真で見て知ってたので、泊まってみたかった。

凄いホテルです。ピンク色で、椰子に囲まれてて、古くて、
格式と白人文化の頂点を垣間見ました。
日本人のチビ女性が泊まるには場違いだったかもしれません。
でも当時の私は殆ど毎日ちゃんとハイヒールにボディコン(古すぎてmax-w)ドレスです。
(今の私のラフな姿しか知らないヒトには想像できないかもしれませんが!バブルってそんなんだったんやって!笑えるねー。)

部屋にはウェルカムのトロピカルフルーツが山盛り、そしてエビアン水のボトル、
分厚いタオルのバスローブ。。。窓から見ると中庭ではお金持ちそうな人々が結婚式のパーティーしてるのが見える。。。別世界です。

それよりビックリ、

masta.Gさん ラジオ持ってきてる!!!

私と同類??
いえいえ、私のよりもっとイイラジオ。
コンパクトなサイズなのにステレオ。真っ赤で素敵。
海外に輸出するように作られた日本製。。。さすがです。。。

そのラジオを聴いて、私は「L.A.に来て大正解だった!」と確信しました。
ハワイや、他の田舎町とは、ぜーんぜん違う。。。
トップクラスの凄いDJ陣と選曲とステーションの数。。。音色もぜんぜん違う。
落ち着いた、床を這ってくる様なディープな音。

その夜、masta.GさんはAmericaに来た事がしみじみ嬉しくて寝られなかったそうです。
一人、夜更けに真っ赤なラジオで、音楽をずっと聴いていたと云ってました。

その時に、今も想い出となるある曲が流れてきました。

Mercy, Mercy, Mercy! Live at 'The Club'
by Cannonball Adderley

masta.Gさんは思ったそうです。

そうか、やっぱりそうなんや。

この国は、いい音楽を、

ジャンルや流行に囚われることなく流し続けていたんや。

子供達もみんな、

はやりの曲に混じったこんな名演奏を

聴きながら育っていくんや。


と。

そしてmasta.Gさんはビバリーヒルズの分厚いカーペットの床を
こん、こん、とそっと叩いてみたそうです。
「ここがアメリカですよ。。。」って。

この曲、このPCサイトで試聴できます。ほんのさわりですけどね。
http://www.amazon.com/exec/obidos/tg/detail/-/B000005GY5/ref=m_art_li_2/102-8209916-8007303?v=glance&s=music

(発見した!Windows Media Playerの試聴をクリックするとイントロの辺りが聴けて、
 Real Playerの試聴をクリックするともうちょっと先の盛り上がったところが聴けます!
 一緒じゃないで。ビックリです。両方聴くといいんでは??)

後日、この曲は何度も何度もL.A.のラジオで私も聴く事になります。
とても頻繁にかかるんです。「スキヤキ」もそうです。毎日ほどかかります。
良い音楽を後世に大事に伝えていくスタンスが最高に素晴らしいところです。

私もこの曲は大好きで、CDも買ってしまいました。
お客さんのクレイジーなノリが涙出そうに共感覚えます。
そして繊細なキーボードの
「そぅっと、そーーーぅっと、押さえる音」も。
(ここで黒人のお客さんはさらに燃えるのです。アウゥッ!って叫んでしまう。)

知ってる人は知ってる。。。よね!知らない人は、機会があったらどうぞ聴いてください。
おやすみなさい。。。LOVE


posted by chi-B at 03:05| 大阪 ☀| Comment(0) | ラジオの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月23日

それでもやっぱ音楽はオープンエアで聴きたい

秋やね〜。秋刀魚はおいしいね〜。
ちょっとジャケット作りで肩がコリコリで、目がクラクラで、時間空いてしまいました。
久しぶりのchi-Bです!元気やでっ!!

最近は、音の広がりのあるヘッドホンや快適なイヤホンが、わりと手頃に売ってますね。
ちょっと前、masta.Gと大阪心斎橋の電気屋さんでいろいろ試しては
「おぉぉ〜、これ欲しいなー!」
「わぁぁ〜、これかぶってみ!」とさんざん遊んで、買わなくて帰ってきました。w
いつものことですが。安いといっても高いねんもん。けど欲しい〜〜〜!

皆さんは普通、何で音楽を聞いてますか?ヘッドホンがほとんどですか?
家で一人で聴く時や、通勤・通学の電車の中で聴く事が多いでしょうからね。
私もたいていはヘッドホンですが、
が、しかーし!
本音を言うと、スピーカーで鳴らしたいです。
そして、chi-B&masta.GのCDはそうやって聴いて欲しいです。

確かにヘッドホンも良い所がいっぱいあります。
英語の歌詞を聞き取っている時なんて、必需品です。ちいさい"s"も聴こえるし。
目を瞑れば自分ひとりの世界に浸れるし、それなりに長所は沢山あるので好きです。

けどです、たまにはスピーカーでちょい大きめで鳴らしてみると、
すごい発見があったりしますよねー!

masta.Gの家にある超デカーいスピーカー、ライブハウスBAGUSで使われてたのですが、
これが鳴るとすっごいスリリングなんですよ。
ヴォリームがある音なので、夜は使わせてもらえることは少ないのですが、
昼間、お願いすると、
たまーに、「エエよ」と云ってもらえる。
REALLY????やったー!

NPGのLIVE演奏なんて聴いてると、目の前にPRINCEが立ってギターを弾いてるよう。
サイズも等身大。まるで私のためのLIVE演奏。
抱きつきたくなる妄想的衝動に駆られます。(AHOかも知れません…)
ミシェル・ンデゲオチェロのセカンドアルバムも凄いです。
音が中に浮いてて宇宙に浮かんでるように感じます。

周りの空気が振動している それをハッキリと感じられる これが最高なんです。
3D的な楽しみ
これを知らないと損!好きな音楽がもっとスケール大きく味わえるんですから。

この爆音スピーカーで、アメリカ村近辺で、私一人で路上LIVEをしたことがあります。
PAさんはmasta.G。大音量でも、近くに居ても快適で、近所のお店の人誰も怒らない。
それはもう大空へ、御堂筋へ、遠くの道へも、鳴り響きました。
さんざん好きな曲とオリジナル曲を歌って、ご満悦のchi-Bでした。
シェリル・クロウから、エリカ・バドゥ、メイシー・グレイ、
果てはリンダ・ロンシュタットまでも歌った。歌ってる本人は(!)もー最高でした。

(実はmasta.Gは照明も上手!照明に関しては私は文句多い人です。それがLIVEの盛り上がりに大きく関わってくるから…でもまだ今のところmasta.Gほどリズムに合わせてお客さんを無意識のうちに盛り上げさせるテクがある人は、私自身は会ったことないです。日本では。余談。)

日常の生活の中で、ときどき音楽を聞く私たちとはちょっと次元が違うかもしれないけど、
もっと深く音の研究をした人がこんな事を話しておられるのを読みました。
うろ覚えですが、だいたいの内容はこんなでした。。。

『ずっとスタジオで音を研究してきて、身体を壊した。
 いろんな音を聞いてきたつもりが、
 よく考えてみれば、どれも全部「スピーカーの音」を聞いているだけだった。
 そしてスタジオでの研究はやめた。外に出た。枯葉を踏む音、風の音が聞こえた。。。』

…この方は、その後、自然界の音を聴く・聴かせる・といった活動をされます。

つまり、ここでも云えることは、
LIVE(生)で音を体感すべし。。。(by masta.G)なんでしょうねぇ。
あ!またまとまりのないブログになった?
んじゃー、まとめよか??
chi-B&masta.GのCDはスピーカーで聴いてな!
よろしくねぇ。今の季節なら「黄昏tasogare偲び草」がお勧めです。
シングルCDはもうすぐ発売!!!!乞うご期待♪
posted by chi-B at 00:06| 大阪 ☁| Comment(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月18日

ラジオがくれた贈り物#5 アメリカ本土上陸

日曜日です。新しいCDのジャケット作りに勤しむこの頃ですが、目ぇ疲れました。
このジャケットは素敵にデザインできました。またいずれ御紹介します。

初めてアメリカ本土の土を踏んだのは1982年だったと記憶してます。
英語教育を勉強するのが目的で、南イリノイにある大学で三ヶ月の語学研修の後、
残りの九ヶ月は同大学院の英語教育学部に入ったのですが、

白状すれば、
かなり遊ぶ事に専念する日々でした。ほとんど勉強はしてません。
「とにかく一年で英語がわかるようになればイイや!」みたいな能天気留学生です。

そのうち英語よりビリヤード(当地ではPool Ballというんですが)に夢中になり、
かなりの腕前にまでなりました。朝から晩までplay、ご飯の時間飛ばしてもplay、してましたから当然です。笑


そこでも例のハワイで買った安物ラジオをまだ持ってたのです。持って行ってた。
朝起きたら、てゆうか、目は開けてなくて意識だけ起きてる段階で、
手を伸ばすのはラジオのスイッチです。何十分かそれをずーっと聴きながら目覚めを待つ。

南イリノイですからカントリー&ウェスタンがよくかかります。お店でも食堂でも。
ほかの(アメリカの)都会の流行の音楽を探すのは、当時の私にはなかなかハードでした。
ただし、そのお陰で、カントリーの中にも涙が出そうになるロマンティックな曲があることも知りましたし、カウボーイの御夫婦はウィークエンドにお洒落してディスコに来る事も知りました。。。

隣町からセスナで。。。ひぇぇぇって感じ。アメリカ恐るべしと思った。

そうこうする毎日の中で、そんな田舎町でも、ある二人のアーティストが私の意識まで浮かび上がってきた。

マイ・Jことマイケル ジャクソン。そしてジ・アーティスト=PRINCE。

その時代、この二人は色んな意味で対極として存在していました。
誤解を恐れないで云えば、未熟者の私には二人はハッキリとライバルのように見えたのです。
当時の私には、どちらも素敵に見えました。

まだ顔もナチュラルなマイ・Jはあどけない少年のようで、綺麗な声で歌うアフロの人。
かたやPRINCEは、グラマラス&デンジェラス&スキャンダラスな匂いをプンプンさせた
かなり私好みのSEXYな人。なにより踊りも楽器演奏も歌もかなりのハイレベル。

もちろんラジオで顔がわかるわけも無く、
顔を見たのは日本に帰国して慌ててレコードを買ってからです。

それまでは、ただただラジオから流れる音だけに集中して、想像してただけ。
それだから余計にしっかり感じられたことは、かかる曲みんなよく作られていて、
覚えてしまうほど素敵だけど、

ベッドに横になって聴いてても、本当に自然に身体が動き出す、
アドレナリンを出させる、目覚めさせられる音楽がある、ということです。

アメリカの人たちは平均してクオリティーの高い作品を作ります。それでも、
その中にSpecial中のSpecialな人・作品は、別格に輝いてる。

もちろん、服装やメイクや言動も同様に大事かも知れませんが、
もっと基本的な「サウンドのみ」の段階で、彼らはしっかりと眩しい光を放ってる。
それを持つ人こそが

『☆Super Star☆スーパースター☆彡

けどけど!You don't have to be a star, baby, to be in my show〜♪
(スターでなくてもいいの。)という曲は最高です。支離滅裂でゴメンネ。

私の心は複雑で、ここまで書いてても別にマイ・Jのファンでもないし、
PRINCEは大好きだけど、流行のロックっぽい曲は好きではなく、
コアなファン以外は知る人の少ない珠玉の名曲たちのせいです。

てなわけで今日はここまでにしときます!


<予告>
次回はビバリーヒルズ ホテルでのお話になる予定です。。。
そう「ホテルCalifornia」のモデルになったあのピンク色の素敵なホテルでのこと。
posted by chi-B at 14:06| 大阪 ☀| Comment(2) | ラジオの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月14日

ラジオがくれた贈り物#4 "HAWAII"でもラジオ♪

こんばんわ!今日もスタジオ帰りのchi-Bでっす。今日は素敵な一日でした。
そろそろ季節も秋に移り変わりつつあって、人恋しいようなイイ感じの風〜も吹いて。

今日はHAWAII〜ハワイ〜のコトもちょっと。

某大学の英米文学科四回生の時のことでした。私の通ってた大学がハワイ校を設立する計画が持ち上がりました。そう、イキナリ。。。まだ開校はしてなかったけど、校舎はできたという段階でした。今から思えばバブルの予感?かな。多分そうやわ。で、全校生で希望する人はテストを受けて、成績順で20位に入ったら大学から奨学金が出てハワイ大学で短期の英語コースを受けられる、というチャンスが巡ってきたのでした。しかも三ヶ月まるまる!!

こりゃ、とうぜん、イッとかんとアカンでしょーーー!高い学費払ってんねんから取り返さんと!しかも、寮費や食費もすべて出してもらえるんだと聞けば。行かなアカンもんねー。

で、

合格した。
幸い試験は(中学から洋楽をコピーし続けたかいあって、たった一教科得意であった→)英語とアメリカ人の教授との英語での面接のみ。4年間、顔見知りの先生だからあがることもキョどることもなく、ただ「OH〜NO〜!!!キミ行くのかぁぁぁ!」と当のアメリカ人教授が頭抱えて青くなって叫んでたくらいで…(彼は私の扱いにくさと当時の日本女性離れした発展振り?を熟知していたためw)ま、そんな話はさておきやねぇ。。。

ハワイの寮の部屋についてすぐ、荷物を置いて巨大スーパーにお買い物。
始めてみるド派手なデザインの日用雑貨を買いあさる友達を尻目に、私が向かったのは電化製品のコーナー。目的は?ん?そうそう!!
ラジカセです。コレを一番にゲットしないと、私のハワイ生活はオモロない!と子供の直感で知ってたから、一番に買いました。何の変哲もない安物のプラスチックみたいな黒いラジカセ。。。"カセ"が大事な部分。録音できなきゃ!

もちろん初めてのステーションはKIKI!
…ケィアィ、ケィアィ…
この響きは、当時の日本で流行り始めた小林克也さんがDJとして出始めの頃の、山下達郎さん周辺の音楽をかけまくってたサーファーのお約束やんか。私はサーファーではないですが。
でも殆どの人がサーファーではなく、ただただ海で遊びまわる人だったと記憶してます。今のレゲエのファンたちのようなもんです。ラスタじゃなくてもレゲエ大好き、コッカコー○員でもレゲエ好き!(ありか?なしやろ??といつも悩む。)といってる今とさして変わりません。とにかく流行りでした。

カカル曲カカル曲、聴きまくりました。もう朝から晩まで私の部屋は音量大です。
おかーさんに叱られることのないここハワイですが、また居った「怒る人」!
何人なのかわからないけど英語しか話せない寮の管理人。。。
何度ドアをノックされて「パーティーは禁止!!!!!」と怒られたか知れません。
パーティーなんてしてないのに。私は大音量で(音悪いラジカセでもw)聴いてただけやねん。友達に聞かせてただけやねん。アメリカの音楽がどれほど凄いか、、、。

隣の部屋では、まけずにラジカセを買った別のグループの子達が日本の音楽をかけてる!
る○ーのゆびわとか。。。ぜんぜん椰子の木とマッチしてるとは思えませんでしたね。
その時の私は許せなくて(すみません!心狭い子供だったかもです。。。)、こっちで余計に爆音にして、相手の窓向けてスピーカーを鳴らして撃退してました。
「おいおい!ここはハワイやでー!何かけてんねんナ〜、アカンがなー!!」って喚きながら。(反省)
あの人コワイ。。。いじめる。。。ってきっと思ったことでしょうが、時効ってことで!

愛のコリーダ・マスターブラスター・セプテンバー・・・・ダンスミュージックの代表格は、いずれもこの頃、大売れしていた時代でした。(年齢想像するなら御自由に…Age ain't nothin' but a number, right??? I don't give it a f**k.なんやから。)そして、「愛のコリーダ」の劇場版(大島渚監督です!'Nuff Respect。)、もちろんカット無しを映画館でも見たなー、ハワイ大学の講堂で。日本の芸術の大胆さを誇りに思いました。外国人観客全員ノックアウトでしたよ、あの夜のあの場所では。凄い映画です。見たい?見たいやンなー!!

ここでお気づきかもしれませんが、この辺りから私の音楽生活に「いわゆるブラック・ミュージック」が入ってくるのです。そのテイストはそれまで知らないものでした。まだラップはありません、少なくとも水面上には影も形も出てない時代です。深〜いよ〜〜。ブラック・ミュージックに傾倒していった背後には、黒人さんたちがBlack is beautiful!とばかりに大々的に音楽を売り出し始めたこともあるし、それよりも私に大きな影響をもたらした人物masta.Gとの出会いがあります。大学に入ってすぐに、近くに出来た新しいお店BAGUS(オーナー辻川"masta.G"雅治さんその人、私のプロデューサーであり、ドラマーのmasta.Gのお店です。)、ここで私は今に至る長ーいミュージシャンとしての自分の歴史のページを開いたのでした。つづきはいつかね。。。長くなったね。

おやすみなさい!



posted by chi-B at 23:51| 大阪 ☁| Comment(0) | ラジオの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月12日

ラジオがくれた贈り物#3 LIVE感、万事それが命!

今日もスタジオで足がくがくになるまでリハをしてきたchi-Bです。
ちなみに、がくがくは、運動不足のせいと思われますが!
とにかく広いスタジオを動き回って、フルに練習しています。
予定は未定の次のLIVEに向けて準備、
そして目下のターゲット、新曲軍団のためにブレイン・ストーミング中〜。

誰が読んでくれてるのか判りませんが、今日もラジオのお話を…。

洋楽とは離れた話題やけど、(もう大阪弁もいっとこ〜っと。あー、楽かも〜。w)
「鶴瓶・新野のぬかるみの世界」という番組にはまった人も大阪界隈では多いと思います。
20世紀最強の伝説のラジオ番組という噂もあるねん。
大阪以外の人、まぁわからなくてもチョットばかし付き合って下さい。

ちなみに「ぬかるみの世界」に関するサイトは多いですが、簡単な説明はコレを↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%AC%E3%81%8B%E3%82%8B%E3%81%BF%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%95%8C

鶴瓶さん、今ではもう大御所の落語家さんですが、
大阪で新人として出始めた頃のテンションといったら凄まじいものがありました。
もう、涙ちょちょぎれる(古〜w)くらいオモロイ人なんです。めちゃくちゃです。
司会されていた深夜テレビでもかなりおもしろいのがありましたが、
私が今でもまた聴きたい!と思っても叶わないのはぬかるみ。
放送作家の新野新さんと二人でやってたのですが、よーく喧嘩するんです。
初めは意見を交わしてて、その内もめて、声大きくなって言い合いして、
最終的には二人とも黙ってしまうんです。

ラジオでながーい沈黙…今ではあり得ないと思います。放送事故かと思われるやんね?

で、どっちかが「あんたナンか言いや、俺知らんで…(また沈黙)」みたいな事云うのです。そして曲に行かざるを得なくなったり、延々黙ってたりして。聴いててドキドキするんですよ。ますます聞いてたくなるんです。腹立ってるのが伝わってくるから。ため息とか。

今のラジオは、アメリカのDJの流れを汲んでるのか"立て板に水"のように話しますよね。流暢に英語も交えて…そう小林克也さんの確立したあのスタイルが主流ですよね。もちろんそれも心地よいのですが、たまにテンション高すぎてワーワー甲高い声のDJを聴いてると、

「ウルサイっちゅうねん!」

とステーション替えたくなる私です。たまにね!たまに。それよりも白熱した言い争いや、喧嘩の後の沈黙、そんなリアル感が楽しかったりします。

音楽も実は同じです。

上手に、間違わずに、音を外さずに、CD通りに再現、、、そんなこと「だけ」を念頭においている演奏やパフォーマンスはつまらないんですよね。瞬間のアドリブや、オット危ない!というスリリングな、でも決して間違ってない音選び、涙、真剣にやっているからこその計算できない部分が面白いです。

この「真剣にやる」こと、案外そんなに簡単ではないということを
LIVEをやってる人なら理解してくれるかもですね。真剣すぎては遊びの面白さはなくなるし、ただただ熱いだけも チト違う、考えてるという行動自体がもう違う。

これはハリウッドの音楽学校の先生達も云ってた事ですが、「友達で凄く歌の巧い歌手がいて、そりゃもう音域は広いし音は外さないし、最高にテクニックあるんやけど、聴いてたら退屈で退屈で寝そうになるんや」と。

LIVE感=リアル感。。。演説でも、ラジオでも、音楽でも、なんでもそうですが、これが大事だと、これほどまでに大切だと、私が身を持ってして「真に」気づくことになるのは、ぬかるみの世界から何十年も経って、ワケもわからないまま音楽を始めて、そしてさらに何年も経った、ごくごくごくごく最近の事です。

その昔、幼い自分が 何に、どう、惹かれていたのか。

そして、それをフツーやってのけていた人達の

全部を、自然にむき出しに出来る芸人魂の気持ちよさ。

やろうと思って、すぐに出来るもんじゃないねん。

生まれ持つ性格から、難なく出来る人もいてるねんけどね。

ホントかなぁ?と思ったら、お試し下さい。楽しい毎日になるかもね。
posted by chi-B at 23:49| 大阪 ☀| Comment(0) | ラジオの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月03日

ラジオがくれた贈り物#2 どきどきリクエスト

 
 ラジオの話、今日は少し後戻りして…中学・高校の頃です。

 
 テレビももちろん見ていましたし、流行の曲だって歌えるくらい覚えてはいたけれど、とにかくラジオでは、テレビにあまり出ていない日本人アーティスト達の曲も流れている事に気づいたのでした。

テレビでは流せないキワドイ内容(社会派、セクシー派、なんでもね)の日本の曲も、ラジオでは聴けるんですよね。そこにはまた別のジャパニーズ・ミュージックの世界が存在しているかのようでした。

受験や勉強や宿題や…の年頃だから、テレビはあまり長い時間おおっぴらに観ていられない(おかーちゃんに叱られるからね〜、子供だから。w)、でもラジオは違います。

テレビや、(当時はないけど)インターネットは、画面を見つめる必要がありますが、ラジオは何かをやりながら聴けるんですよ、これが。レコードを裏向ける事も要らないし、持ってない名曲がバンバンかかる。。。当たり前ですけどね。そこが凄いところです。

それに机の端にちょこんと乗せて、静かにかけていられる。。。ながら族というヤツですね。ますます毎日・毎晩聴くわけです。録音までするわけです。


 子供ですから、そんなにお金はありません。オヤツや本を買えば、レコード買うほどの金額は残るわけないのでした。その私のNEEDSにバッチリ合ったのがFMラジオの洋楽新譜紹介です。

当時は新しく出たアルバムを全曲初めから終わりまでかけてくれていました。そして、録音することを考慮に入れてくださっていたのか、いきなりはかけないんです。曲名を言った後に、ちゃんと頭は数秒あけてくれるんです。その隙に録音ボタンを押せるようになってるんです。
最後も、急に喋りだすとか、やかましいCMが突然入るとかは一切無くて、録音組にとっては最高な気配りでした。

どうしてもレコードが欲しいものだけ、後で買いに行くのです。お年玉を貯めた貯金を握りしめて。または、買うお金が無くてもジャケットだけでも見たくて、レコード屋さんへ走るのです。あと、音楽雑誌も買いに走りました〜。どんな顔してる人か見たくてねー。

ファッションも興味ありました。大胆ですから男も女も。なんか悪そう(に勝手に想像してただけですが…)な雰囲気も、かなりあこがれましたね。今の若い人たちも、そこのところは一緒ですね。音楽とファッションは絶対に一体(軽く韻踏んだね〜w)です。


 FMはもちろんの事、当時はAMも夜になると洋楽の番組がちょこちょこっと少ないながらもありました。中学の時ですが、リクエストというものを始めてやってみました。最初は葉書でした。電話は怖いし。(おかーさんに怒られるから…ってまたかぃ!でもホント。子供が家の電話を夜に勝手にかけるなんて、ありえない時代でした。)

すると、なんだか採用されるわけです。理由はきっと本気で書いているメッセージです。まじな子供の手紙ですからね!そして、「中学生で、女の子で、このリクエストは渋いですね〜。末恐ろしいです。」とか言われたのを、胸はドキドキで、汗かいて緊張して聴いたのを覚えています。

なにが末恐ろしいのか、分かりませんが、大人びたブルース・ロックみたいなのをリクエストしたからでしょうね。内容も不倫ものだったようですし。(知ってました。子供心に、大人の愛の歌はややこしい、でも色っぽい!と気づいてました。子供、、、侮れませんよねぇ。)

その内、親に頼んでリクエストの電話もすることは何回かありました。クラスの子が聴いて「オマエ〜昨日ラジオで名前流れとったやろぉ。」とか言われたもんでした。

 お風呂にラジオ持って入ったらアカン!!

この母の声は、ほとんど毎日きいてましたね。。。

とりあえず、よく怒られた子だった…という話じゃないって!

今日はココまでです。またね〜。chi-B

 
posted by chi-B at 01:20| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ラジオの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月01日

ラジオがくれた贈り物#1自然な出会い

 ラジオを聴く、と言う事を始めてやったのは、遥か昔。小学校低学年だったと記憶しています。すごく小さいミニチュアの、足がついたステレオみたいな形をした、きっと今では「レトロ」と云われるであろうデザインのもの。

ふたもついていて、その中に父のネクタイピンやら、カッターシャツの襟芯(もしかして死語?わかる?)が入っていました。今となっては何を聴いてたのか覚えていませんが、子供の私には、何か喋る不思議な箱という認識でした。

 それから中学1年生の終わり頃、父が「誕生日のプレゼント、何が欲しい?」ときいてくれたので、外国の放送も入るジャイロ・アンテナの付いたラジオ!!と即答したのも昨日の事のようです。(ジャイロ・アンテナって何なのか、今も知りませんがw。

ボタンを押したら、太くて短い文鎮みたいな真っ黒のアンテナがバチっという音と共に飛び出して、くるくる回せるものでした。)外国の放送は、入るには入ってましたが、言葉がチンプンカンプンで。。。

それよりも私の心とらえたのはAMの深夜放送と、学校を病欠した時にベッドの中で聴いた朝のラジオ劇と、そして何よりも、FMの洋楽紹介の番組でした。



 ここでちょっとラジオから離れて・・・。


 洋楽との出会い。これを厳密に思い出してみれば、父の買って来てくれていたレコードです。

何でか子供の頃から私に歌を歌わせる事を趣味にしていた父の買ってくるレコードは、母の買ってくれる童謡のレコードとは大きく違いました。当時のアメリカンポップスを、日本の子供が日本語でカバーしている曲や、シャンソンのカバー曲なんです。大人の曲です。

それを私は気に入っていて、学校から帰ると、ランドセルを置いて、電蓄にレコードをセット!("でんちく"ってわかるかなー?レコードかけるためのものです。音は最高にショボイです。当時の一般家庭にはステレオなんて無いのですから。

クーラーがうちに付いた時なんて、近所の旦那さん方がこぞって涼みにきたもんなんです。みんな黙ってクーラーの噴出し口をじーーーーっと見つめてたりしてね。面白いもんです。電話も近所の人が借りに来て、後で電話局から金額を知らせるコールがあって、それで30円とか払って帰るんです。今から思うと、びっくりですよね。)

とにかく小学校の頃は、あまり外では遊ばず(今もですが)、帰ってきたら、木琴出してきて叩いてるか、粘土細工しているか、レコードをかけて大声で歌を歌ってるかでした。その歌を、父はなんでかカセットテープに録音しては聴いて遊んでました。きっと新しい機械を買うのが好きだったんじゃないか…と今おもいます。



 話を戻しましょう・・・。


 ジャイロ・アンテナのラジオは、ずーっと高校生になるまで使っていました。そのラジオで初めて、洋楽が心の何かに確実にヒットしたのでした。どの曲が、とかいう話ではなく、どの曲も、外国の曲(といっても英語か、あってもフランス語がチョコッとでしたが)素晴らしいのでした。

何と比べてか?それは必然的に、日本人ですから日本人の歌です。テレビでやっている歌です。今考えれば素敵な曲がいっぱいあったけれど、当時の私は、外国の曲の、演奏や歌声の素晴らしさに心奪われたのです。こんな音楽、日本にはない!!!と。テレビじゃかかってない!!!と。

宝物を見つけた気持ちでした。今のようにプロモーション・ビデオなんて、素人はお目にかかれるものではなくて、業界の中の宣伝素材みたいなもんだったのではないかと思います。歌ってる人の顔も分からない、何を歌ってるかも殆ど理解できない、なのに、なのに、涙が出そうになる。身体が動く。ところどころ口ずさんでしまう。。。自分の思惑とは離れたどこかに響いてくる。一日中その歌を忘れられない。

 「これはナンだろう・・・。何でこんなに胸のところがキューっとなるんだろう・・・」

 その思いが、何十年と経った今の私のルーツです。間違いなくそうです。
つづきはまたいつか・・・。

 
posted by chi-B at 23:46| 大阪 ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | ラジオの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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